名建築のつくり方

名建築のつくり方
2021年12月・2022年1月 No.534

エッフェル塔とは何が違う?

A アンサー    1. 東京タワーの方が軽い

エッフェル塔と東京タワーの形はよく似ている。両者はどう違うのか。

エッフェル塔は、フランス革命100周年に当たる1889年にパリで開催された第4回万国博覧会のため、ギュスターヴ・エッフェルによって建てられた。建設時の高さは312.3m。1930年にニューヨークにクライスラー・ビルが完成するまでは世界一高い建造物であった。

ギュスターヴ・エッフェル(1832〜1923年)は構造技術者であり、鉄道橋などの建設会社、エッフェル社(1866年創業)の社長である。エッフェル塔のデザインは当初、作家のモーパッサンなどから、「ボルト締めされた鉄製の醜悪な円柱」と酷評された。

そうした歴史からか、現在も機能主義あるいは構造合理主義の象徴として取り上げられることが多い。しかし、細部を見ればアールヌーヴォー風の細やかな鉄の装飾が施されており、ギリギリまでそぎ落とされた造形でないことは明らかだ。

対する東京タワーはエッフェル塔の約70年後の1958年完成。エッフェル塔が国の威信を示す展望塔であるのに対し、東京タワーは関東圏にテレビ電波を発信する電波塔として計画された。

設計初期にはRC造も検討

NHKテレビ実験局が日本で最初のテレビ用電波を発信したのが1953年2月。わずか数年のうちに、テレビは全国に普及した。東京タワーの建設前、放送事業者はそれぞれ自前の電波塔から電波を送出していたが、アンテナの指向性や景観の乱れが問題となっていた。電波塔を一元化する計画が立ち上がり、1957年に日本電波塔株式会社が設立される。

旗振り役は産経新聞の前田久吉社長(当時)。NHKを含む官民共同事業ながら、民の意向の強いプロジェクトで、エッフェル塔とはコスト意識が違う。

日本の鉄塔設計の権威である内藤多仲たちゅう(早稲田大学教授)の設計指導の下、日建設計工務(現・日建設計)が設計を担当した。内藤は“塔博士”とも呼ばれる。

意外にも思えるが、初期段階では鉄筋コンクリート(RC)造も検討された。設計が始まる少し前の1956年、ドイツのシュツットガルトに、世界初のRC造によるテレビ塔が完成した。円柱が上に向かって細くなる灯台のような形で、高さは217m。内藤は設計チームに指示し、これを参考にRC造の案も検討した。

しかし、鉄骨造に比べて重いため地震の影響が大きく、基礎が複雑になるとの判断で見送られた。その話を聞くと、内藤にも当初、「エッフェル塔と全く違うものをつくりたい」という気持ちがあったことが推察される。

東京タワーの塔体は、三角形に鉄骨を組む鉄骨トラス構造と決まった(地上の科学館はRC造)。塔のシルエットは正方形が上に向かって緩いカーブを描きながら細くなる形で、エッフェル塔と似ている。内藤は生前、「合理的に考えていくと、大体みんな似たようになる」と話していたという。

重さはエッフェル塔の約半分

体型は似ていても“体質”はかなり違う。内藤は鉄骨の無駄を削ぎ、塔を軽くすることに心血を注いだ。部材が細くなれば、風の影響を受けづらい。自重が軽くなれば、地震の影響も小さくなる。鋼材使用量はエッフェル塔の7300トンに対し、東京タワーでは約4000トンとなった。実に45%減である。

東京タワーの設計では地震に対してよりも、「主に風に対して設計した」と内藤は語っている。奇しくも、翌年に伊勢湾台風が襲来。東京タワーにも秒速52mの強風が吹きつけたが、大きな被害はなかった。

ちなみに、東京タワーの約50年後に日建設計の設計で実現した「東京スカイツリー」(2012年完成)は、中央にRC造の心柱が立ち、その周りを鉄骨造のトラスが取り巻く混構造(ハイブリッド)だ。RC造のタワーを構想した内藤へのオマージュとみることもできる。

参考文献・資料:
『設計の技術 日建設計の百年』(2001年、日建設計)、『LIXIL eye』2012年1月号(LIXIL)、『プロジェクトX 東京タワー 恋人たちの戦い』(2000年、NHK)

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