名建築のつくり方

名建築のつくり方
2024年3月号 No.556

海上の巨大ガラスドームどうつくった?

A アンサー    1. ガラスドームだけを船で運んでかぶせた

「なにわの海の時空館」は大阪市がフランスの建築家、ポール・アンドリュー(1938~2018年)に設計を依頼して建設し、2000年に開館した。直径70m、高さ35mの巨大ガラスドームと、その中に収まる原寸大の菱垣廻船ひがきかいせん(木造の帆船)が大きな話題となった。しかし、来場者数が低迷し、2013年に閉館した。

それから10年間、利活用策が見つからないままだったが、2023年11月、大阪市は利活用の事業者を選ぶ公募型プロポーザルで、観光コンサルティングなどを手掛けるシンフォニックスリールを選定したと発表した。

旧施設の目玉展示だった菱垣廻船を活用した体験型ミュージアムとして運営する。MR(複合現実)技術を使い、ファッションや芸術文化の魅力発信を目指す。25年春から新施設を一部開業する予定で、ぎりぎり大阪・関西万博に間に合わせる狙いだ。

最大の要因は工期短縮

さて、この施設、どうやってつくったのか。ガラスドームが海に浮かんでいるように見えるが、下部(博物館本体)は海底の地盤から立ち上がっている。従って、冒頭の問いの答えは(1)だ。工場で製作したガラスドームをフローティングクレーンで吊り上げ、本体にかぶせるという前例のない施工法を採った。施工は大成建設・不動建設・東洋建設JVが担当した。

なぜそんな方法なのか。当時、ポール・アンドリュー氏はこう説明している。「最大の要因は工期。もし現場でドームをつくるとすると、本体工事が終わりに近づくまでドームの組み立てが始められない。もうひとつの要因は精度。広々とした工場で製作した方が、完璧なクオリティーのものができる」。

ガラスドームは川崎重工業播磨工場で製作した。鉄骨のラチスシェルに、ガラスをはめたもの。ガラスはDPG工法と呼ばれるサッシを用いない方法で固定した。外からはガラス面しか見えない。総重量は約1200t。工場段階では中段部分だけガラスを設置していない。吊り上げ用のワイヤーを取り付けるためだ。

 

チェーンブロックで位置を調整

ガラスドームは1999年11月5日朝に工場を出て、同日午後、約60km離れた大阪・南港北の現場に到着。現場から500mほど離れた海上に係留された台船の上で二晩を明かした。

1999年11月7日の朝、フローティングクレーンで吊り上げ、本体の上へ。午前10時半、多くのギャラリーが見守る中、吊り下ろしが始まった。

ドームを本体の真上に掲げ、垂直に下ろすという単純な作業だ。だが、所定の位置に誤差15㎜以内で下ろさなければならない。下ろす過程で何かに触れてしまったらガラスが割れる。

幸いこの日は風速2m程度の微風で波もほとんどなかった。吊り下ろし開始から1時間後、本体基壇部から約2mの高さまで下ろしたところで、本体との間にチェーンブロックを掛け渡す。計8か所のチェーンブロックの締め付けによってガラスドームの位置を微調整した。

本体の4か所に高さ1mの鉛筆状のポストがあり、ドーム側のプレートの穴をくぐらせる。ドームは先端部分の傾斜に導かれ、定められた位置に下りていく。12時15分に吊り下ろし作業は無事終了。夕方には吊り上げ用に設置されていたリングも外された。

ちなみに、展示物の菱垣廻船は日立造船でつくられ、ガラスドームをかぶせる前に海上クレーンで搬入した。

2013年に閉館した後の利活用の検討過程では、菱垣廻船を外に運び出すという議論もあったようだ。もう一度ガラスドームを持ち上げて、別の何かを入れるシーンが見られたのかもしれない。だが、ここはやはりポール・アンドリュー氏が目指した当初の姿に近い形で再スタートすることを楽しみにしよう。

 

参考文献・資料:
日経アーキテクチュア1999年11月29日号、同2024年1月11日号

 

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