かわいい土木

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2023年6月号 No.549

水はどこからどこへ? お濠を越える水管橋の謎

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木技術者になるには』(ぺりかん社)、本連載をまとめた『かわいい土木 見つけ旅』(技術評論社)


東京・市ヶ谷いちがやの外濠に架かる不思議な橋。中を覗き込むと、橋を渡っていたのは巨大な鉄管だった――。昭和初期に建設された市ヶ谷水管橋の謎を探っていくと、拡張を繰り返して大都市・東京の水をまかなってきた近代水道の歴史が浮き彫りになった。

東京を横断して走るJR総武線と中央線。都心部では皇居を避けるように、外濠に沿ってぐるりと迂回している。電車が市ケ谷駅に差し掛かるとき、クリーム色とレンガ色のコントラストが目を引く古い橋が車窓から見える。

あるとき市ヶ谷で仕事があり、改札を出て靖国通り側へ続く市ヶ谷橋を渡った。この道路橋と平行して、すぐ脇に架かっているのが、例の橋だ。歩道橋ではないようだし、これはもしや…と、覗き込んでみたら、やっぱり! 直径1m以上はありそうな太い鉄管が橋の上にデン!と横たわっている。水道水を運ぶための「水管橋」だ。

よく見ると、レンガ色の部分には小さなアーチ型が連続するレリーフや、付け柱風の装飾が施されている。なかなか凝った意匠でドボかわいい。

▲市ヶ谷水管橋を靖国通り側から覗き込むと、太い鉄管が見えた。道路からは欄干が目隠しになっている。

外濠の上空を逆勾配で
水道水が遡る!?

調べてみると、橋の名は「市ヶ谷水管橋」。長さは98.1mで、1930年(昭和5年)に竣工した。JRの線路を跨ぐことから、当時の東京市水道局が鉄道省に工事を委託したという。竣工時の「工事画報」には、「市ヶ谷見附跨線みつけこせん水道橋」という名称で紹介されている。

水管橋と分かって次に気になるのは、この橋を渡る水がどこから来て、どこへ流れていくのか、だ。

現地を見ると市ヶ谷水管橋は、皇居のある千代田区側から新宿区の靖国通り側へ向かって、下り勾配になっている。しかし、淀橋浄水場や和田堀給水所は都心から見て西側に位置していたので、外濠を越えるとすれば、靖国通り側から皇居側へ流れるのでは? だとすると、自然流下では逆勾配になってしまう。

東京都水道局に尋ねたところ、「市ヶ谷水管橋は現在、淀橋給水所から都内各家庭へ水道水を供給する管網の一部として運用されている」という。ポンプで圧力を加える圧送管なので、逆勾配でも問題ないのだと教えてくれた。建設当時の明確な資料はないものの、「構造上、当初から圧送管だったと推測される」とのこと。

神田上水や玉川上水といった江戸時代の水道が開渠かいきょ(フタのない素掘りの水路)であったのに対し、明治時代の近代水道は浄水場や給水所などの施設を有し、それらの施設を鉄管でつないで水を流す。鉄管で密閉すれば、ポンプで圧力をかけることで、より遠くまで水を運べ、高台にも水を押し上げられるのだ。

▲平行に架かる市ヶ谷橋のたもとから見た市ヶ谷水管橋の全景。手前側に外濠、奥にはJRの線路がある。
奥から手前にかけて橋が傾斜しているのが分かる。

水管橋を追いかけて
たどり着いた近代水道史

東京の近代水道は、1898年(明治31年)に西新宿の淀橋浄水場から日本橋・神田方面へ通水したのが始まり。1911年までには市域全体が完成した。江戸から続く玉川上水を淀橋浄水場への導水路として利用し、きれいにした水を鉄管で市内に配水していた。

淀橋浄水場からの配水系統は、高地給水と低地給水の二つに大別され、低地への給水は土地の高低差を利用して自然流下で行う一方、高台へは喞筒しょくとう(ポンプ)で圧送していたという。

“近代水道の父”と呼ばれる中島鋭治博士は、浄水場と給水所の位置を決めるとき、「自然流下の場合、淀橋浄水場を頂点とした二等辺三角形の二角にあたる本郷と芝に給水所を置くのが合理的だ」と考えた。私はその資料を読んで以来、当時の東京水道はすべて淀橋から自然流下したのだと思っていた。だから、高台へポンプ圧送していたと知ってじつは驚いたのだが、ただ知識が足りないだけだった。

市ヶ谷水管橋の水の流れを調べる過程で、土木学会図書館や東京都水道歴史館の司書さんたちの力をお借りし、1931年に発行された「東京市水道拡張設計図」を探し出した。この地図では、水色が牛込、四谷、麹町などの高台で「淀橋喞筒給水区域」、黄色が浅草・本所・深川などの低地で「淀橋自然流下区域」となっている。

▲1931年の「東京市水道拡張設計図」
(東京都立中央図書館所蔵、部分)

なお、地図のタイトルにある「水道拡張」とは、人口増加や工業の発展により、明治期につくられた水道網では足りなくなり、施設の増強を図ったもの。このときは村山・山口の2カ所に貯水池(ダム)をつくり、境浄水場、和田堀浄水池を新設するとともに、淀橋浄水場への導水路として玉川上水の利用をやめて新たな水路を設けた。地図で薄緑色の地域は「和田堀給水区域」であり、市ヶ谷のあたりにも和田堀給水所からの管路が緑の線で記されている。

ずっと前から何気なく眺めていた市ヶ谷水管橋だったが、調べてみると芋づる式に東京の近代水道の歴史が浮き彫りになった。これだから、土木は面白い。

▲JR市ヶ谷駅のホームから市ヶ谷水管橋の橋脚が目の前に見える。

 

●アクセス

JR総武線、東京メトロ有楽町線市ケ谷駅、都営地下鉄新宿線市ヶ谷駅からすぐ

 
 

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