連載

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2022年12月・2023年1月 No.544

水面に立つ柱の下はどうなっている?

A アンサー    3. 鉄骨が貫通

「神奈川県立近代美術館」は、戦後間もない1951年、日本で最初の公立近代美術館として開館した。敷地は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮境内。平家池の北側に立つ。設計者はル・コルビュジエに師事し、日本のモダニズム建築を切り開いた坂倉準三(1901~69年)だ。

鎌倉にある近代美術館ということで、美術愛好家の間では「カマキン」と呼ばれた。神奈川県と鶴岡八幡宮の借地契約満了に伴い、2016年に閉館。当初は解体して返還される予定だったが、保存を求める声の高まりもあり、旧本館については鶴岡八幡宮が継承していくことになった。

1966年に竣工した新館は解体し、残した旧本館のみに耐震補強などの改修工事を実施。2020年、鎌倉の魅力を発信する文化交流施設「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」となった。今回は、完成当初の話なのでカマキンと呼ぶ。

柱を支える岩に注目

カマキンの最大の見せ場は、平家池に面したピロティだ。2階の展示室が池の上にせり出し、軒裏に水面のきらめきを映し出す。展示室を支える6本の鉄骨柱(I鋼)は、水面に顔を出した岩の上にふわりと載る。

日本人はこれを見ると、石の上に木の柱を立てる「石場建て」を連想する。日本建築を知る海外の知識人にもそう見えただろう。だから、全体の形としてはどこも日本的ではないのに、「日本らしい」と感じる。

では、水面の下はどうなっているのか。選択肢を繰り返すと、①岩の下部が水底まで続いている、②鉄骨は吊り構造で、水中には何もない、③鉄骨が水底まで貫通している、の三択だ。①なら「やはりそうか」、②なら「まさか」なのだが、正解は、一番面白くない③だ。

施工時の構造矩計図を見ると、池に立つI鋼は岩を貫通して水底に伸び、基礎梁に接続している。①の「巨大な岩の上」では構造的に安定しないし、②の「吊り構造」では展示室が片持ちになり、巨大な梁が必要になる。今もテラスに立って柱の根元をよく見ると、岩をいったん2つに切った後、鉄骨の両側から貼り合わせたものであることが認識できる。

設計者の坂倉準三は、コンペで選ばれた。コンペ時の坂倉の断面図を見ると、すでに柱の下に岩が描かれており、その岩は水底に接地しているように見える。あくまでイメージとしてそう描いたのか、設計段階での検討で鉄骨貫通式に変更したのかは分からない。いずれにしても坂倉は、構造的に無理をせず「石場建て風に見せる」道を選択したのだ。

歴史に耐えるフェイクもある

つまり、これは“フェイク”である。モダニズムの先兵である坂倉が取ったこの手法に、完成した当初は批判もあったという。だが、70年たった今、「あれは許せない」という人はまずいないだろう。

建築とフェイクの関係について考えると、例えば、今日当たり前に使われている「突板(つきいた)貼り」という手法がある。薄くスライスした木材(突板)を他の木材などに貼り合わせるものだ。まさに“フェイク”。しかし、歴史を遡ると、突板はエジプト文明の時代から使われていた。中国でも紀元前から使われていたし、日本でも正倉院の宝物に突板貼りの工芸品がある。やがてそれは、建築の部材にも使われるようになる。

フェイクを礼賛したいわけではない。おそらく、「建築の外に表れるものは、建築を構成する素材そのものでなければならない」という美学は、モダニズム建築が台頭して以降の極めて短い期間のものなのではないか。そう考えると、フェイク的手法が歴史に耐えるものかどうかは個々に判断すべきで、「フェイクだから駄目」と即座に否定するのはどうなのか、と筆者は思うのである。

 

参考文献・資料:
「山梨式 名建築の条件」(山梨知彦著、2015年、日経BP刊)、「空間を生きた。『神奈川県立近代美術館 鎌倉』の建築 1951-2016」(2015年、建築資料研究社刊)

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