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2023年11月号 No.553

令和5年度「作文コンクール」受賞作品が決定!

国土交通省と建設産業人材確保・育成推進協議会では、高校生の方と建設産業で働く方を対象とする作文コンクールを実施し、優秀な作品を表彰しています。今回は、国土交通大臣賞に選ばれた3作品をご紹介します。

 

高校生の作文コンクール 国土交通大臣賞 受賞作品

見えないHERO

山形県立山形工業高等学校 土木・化学科 土木技術コース 2年
髙橋 龍之介 さん

受賞者へインタビュー

■Q1  受賞された感想を教えてください。
私が書いた作文の世界観が、このようなとても大きな賞として評価して頂けたことがとてもうれしいです。作文は得意な方だと思っているのですが、そういった得意な分野で自分の力を伸ばすことができたので良かったです。

■Q2  なぜ工業高校に進学しましたか?建設系の勉強をしようとおもったきっかけ 等
私が住む南陽市吉野地区で発生した水害の経験で、ものづくり自体に興味を持ち、工学の世界、特に災害に強い街づくりについて学びを深めてみたいという思いと部活動を両立し頑張ってみたいという思いから、山形工業高校を志望しました。

■Q3  学校ではどのような勉強をしていますか?
私は土木・化学科で土木技術コースを選択して学んでいます。測量実習をはじめとした自分の中で土木の王道といった学習から、構造設計や施工の基礎など、必要な知識・技術の学習を幅広く学んでいます。

■Q4  将来の夢を教えてください。
山形工業高校で学んでいる知識や経験、部活動の柔道で学んでいる自分で考える力、恐れず前に出る気持ちを忘れず、地元の山形県や南陽市に貢献できる技術者になりたいと思っています。

『みえない時間に、みえない場所で、みえない誰かを想い…』。この言葉はあるCMで使われていた曲の歌詞※の一部です。私が学ぶものづくりの世界、土木の世界はまさしく、この歌詞のとおりだと思います。それを、「誰にも気づかれない地味な仕事」と言われたり、「男社会のきつい仕事」と捉える人も中にはいるでしょう。でも、決してそんなことはないと思うのです。

私が工業高校、しかも土木の学科に入学しようと思ったきっかけは、水害を経験したことからでした。私の暮らす地域の多くの場所で、床上・床下浸水が発生し、小屋が流されたり、橋に流木がつっかえ、川の水があふれ出ました。五十年に一度、百年に一度の豪雨により、様々な被害が発生しました。私の家も沢からの水により浸水し、土砂によって池や畑が埋まりました。当時、小学一年だった私でもこの状況はただ事ではないと、不安や心配で怯えていたのを今でも鮮明に覚えています。明日どうなるのかもわからない中で、私にとって希望に見えたのが、地区中のあちらこちらで、毎日全力で復旧作業にあたる土木関係の方々の姿や、私の家の復旧に関わっていただいた建設業者さんや大勢のボランティアの皆さんの姿でした。夏休み中の出来事だったので、普段はなかなか見ることのない土木作業を間近で見ることができて、私自身初めて土木工事に対して興味を持つきっかけとなりました。それから後に家の裏に砂防ダムの建設が始まったり、土砂災害の出前授業を体験したり、身近でものづくり、特に土木の必要性と大切さを学ぶ機会をたくさん経験することができました。

水害での経験や、ものづくりに関わる経験は誰でも得られるものではありません。私だから持っている貴重なものです。そんなことを考えたときに、工業高校で土木を学ぶことが自分らしい進路選択だと決断しました。高校では、土木についての知識や技術を学んでいます。今までであれば行けなかったダムの内部を見学したり、測量機器に触ったり、高校に入学してからの短い間で、今まででは考えられないような新しい経験をしながら日々学んでいます。そんな高校での時間や、私自身が人生の中で経験したことなどを織り交ぜてこの作文を書こうと考えだしたとき、ある事に気づきました。

水害の時に復旧に関わっていた建設業者の方々も、今現在学んでいる工業技術も、見えない誰かが毎日を笑顔で過ごすためのものだということ。普段誰にも気づかれなくとも、私たちが日常を過ごすために全力を注いでいるのが、土木のものづくりだということです。ものづくりは、見えないもの。見えない誰かを思って、今日も朝から働く工事関係者の皆さんこそ、私は世の中の真のHEROであると思います。なぜなら、HEROはそう簡単に姿を見せてはくれないのだから。

※出典:応援ソング 作詞:三菱電機ビルソリューションズ(株)CM制作チーム
(旧 三菱電機ビルテクノサービス(株))、2016年

私たちの主張 国土交通大臣賞 受賞作品

ICTを転がせ

株式会社小野良組
熊谷 宗浩 さん

受賞者へインタビュー

■Q1  受賞された感想を教えてください。
受賞の連絡を受けた時は、頭が真っ白になり、え、、、と固まってしまいました。自分の身の丈に合った仕事をしていた自分には身に余る光栄ですが、素直にうれしく思います。

■Q2  建設業へ入職したきっかけを教えてください。
今は会社の上司ですが、軽いタッチで「現場管理やってみない」と誘われたのがきっかけでした。初めは施工の難しさにばかり目がいき苦しいことの方が多かったのですが、次第に達成感が苦しさを上回るようになり、今に至ります。

■Q3  現在はどのようなお仕事をされていますか?
代理人を務めていた大規模な復興関連の工事が3月に竣工し、現在は幾つかの現場のサポートをしています。新たな工事を受注し代理人として着任するまでは、新しいシステムや技術などを習得しています。

■Q4  今後の目標を教えてください。
本文でも触れましたが、年齢が隔てる壁というのは案外大きいもので、流行物に敏感で吸収力もある若手技術者と知識や経験が豊富な先輩方、双方の中間点にいる自分がその橋渡しをできればいいなと思っています。お互いの足りない部分、お互いの優れた部分を補完し共有し合えれば、転換期の波にも上手く乗れるような気がしています。

身動きがとれないまま一夜をその場で過ごし、震えながら迎えた朝、小雪が舞う中自宅までの20kmの道のりを歩き始めたのは、もう12年も前のことになります。歩き始めてしばらくすると、私と同じ建設業関係者らしき3人の男性が、道を塞ぐ瓦礫をバックホウで取り除いている姿が目に入りました。

入り組んだ海岸線沿いの町は、1本の道路が寸断されるだけでライフラインが絶たれます。海は流出した重油で焼かれ、誰もがこの町に一体何が起きたのか理解しきれておらず、行政からの要請も行き届いていない段階で、命の道を通すため懸命に作業する姿は、今も目に焼き付いて離れません。ともすれば自衛隊や消防・警察の活躍ばかりがクローズアップされがちですが、ニュースにならない裏側で懸命に作業をしている人たちがいました。その後、私自身も、停止した火葬場の代わりに急遽整備されたご遺体の仮安置場所で、その後再開した火葬場へご遺体を運ぶため掘り起こす作業に従事しました。彼らや私だけでなく、あの頃、繰り返す余震に怯えながら混沌とした目まぐるしく変わる状況の中で、いち早く重機を動かし、瓦礫を撤去し、道を拓いたのは私たち建設業者です。この町を再興に導いたのは、間違いなく建設業界で働く私たちなのです。私は苦しかったあの経験を経て、自然災害が多発するこの日本で、誰かが再び起き上がるために建設業界は必要な支柱であらねばならないと、強く心に誓いました。そして、誰かのために尽力できることを誇りに思いました。

一方、建設業界は、未だに「きつい・汚い・危険」という悪しき呪縛に囚われています。

仕事に対する「魅力」のうち、災害等から社会を興す「力」、馬力・底力はあっても、人を惹きつける「魅」の部分が欠けているからだと私は考えています。

では、「魅」を満たすにはどうすればいいのか。

確かに、雨天時や真夏の炎天下での作業は男性でも厳しく、工期が迫り残業が続けば身なりは薄汚れ、下請会社のオヤカタにも怒鳴られ・・・、そのような経験は私にもあります。これでは若い人たちが集まらないのも頷けます。このまま高齢化が進み離職する人が増えれば、深刻な人手不足に陥ります。

しかし、建設業界は今、変わりつつあります。

震災後私が担当した現場では、施工担当者・事務担当者で相談し合い、カレンダー通りに施工ができるよう、また、長期休暇の前後にはプラス1日~2日休めるよう予め作業日を設定し、積極的に休暇を取れるような仕組みをつくり実践してきました。更に、残業0時間を目標に、作業や役割を分担することで、全員が「残業をしないことが当たり前の環境」に慣れ、合理的に現場を進めることが出来ました。

週休二日制の導入、人手不足・高齢化・危険作業をICTで払拭する試みも始まり、女性が活躍できるような推進モデル工事の活用も推奨されています。国は新3K「給与・休暇・希望」を掲げ、バックアップ体制も整いました。もちろん、建設業界で働く私たち自身も、襟を正していかなければなりません。悪しき風評を放置しておいたのは、私たち世代でもあるのですから。

半ば熱量に動かされて駆け回った日々は過去となり、今、建設業界は大きな転換期を迎えようとしています。そろそろ、未だにまとわりついている建設業界に対する「きつい・汚い・危険」という昭和のイメージを覆す時なのです。

週休二日制の導入でメリハリのついた仕事をすることができれば、休日はゆっくり過ごすことができ心身ともにサッパリする(「きつい」「汚い」がなくなり)、ICTによって合理化された職場環境の中では視えない危険が明らかとなり(「危険」を回避する)、より安全な作業ができる。これからはそういう時代です。そして、過去の実績や経験値にばかり囚われるのではなく、時には若い人の柔軟さから学んでいかなければなりません。若い世代と古い世代が相互に矢印(⇔)を向け合えば、ICTも上手く転がり始めると思うのです。

スーツを着てネクタイを締めて現場に出るわけにはいきませんが、iPadを片手に颯爽と現場を歩き回る姿を子供や若い人たちに見てもらいたい。無事竣工を迎えた時のあの達成感や感動を建設業界で働く全ての人たちに一緒に味わってもらいたい。効率化した作業により増えた休暇で、誰もが充実した時間を過ごしてもらいたい。

そして、私はこれから、建設業には自然災害から社会を興す機動力があること、そこで働くということは構造物(「モノ」)を造り上げる達成感を感じられること、さらに最新の技術を使える面白さがあることや余暇を楽しめる充足感があること、他産業に劣らない「魅」の部分が沢山あることを伝え、未来を生きる人たちのためにバトンを渡す準備を進めていきたいと思っています。

私たちの主張 国土交通大臣賞 受賞作品

私が見た建設業の力・技術

株式会社橋本店
千葉 君杜 さん

受賞者へインタビュー

■Q1  受賞された感想を教えてください。。
この度は、名誉ある賞を頂戴し誠に光栄に思います。入社以来多くの先輩方にご指導頂いたおかげだと存じます。この賞は先輩方のご協力あっての賞だと思っています。これからも初心を忘れることなく、精進して参りたいと思います。

■Q2  建設業へ入職したきっかけを教えてください。
私が小学4年生の時に発生した東日本大震災の被災を受け、生まれ育った町を復興へと導いてくれた建設業に憧れ、私も建設業界で経験と知識を身につけ、災害が発生した時に「人」を「町」を前へと導く力のある建設業を仕事にしたいと思ったのがきっかけです。

■Q3  現在はどのようなお仕事をされていますか?
私は現在、施工管理として働いています。具体的な作業内容としては工事の工程管理や品質管理、工種ごとに工事写真を撮影し提出書類としてまとめる作業を行っています。

■Q4  今後の目標を教えてください。
私の目標は施工管理技士として1人前になることです。そのために現在は仕事で経験を積み、技術を見て知識として学び、自宅では1級施工管理技士取得に向け勉学に励んでいます。まだまだ未熟ではありますが、これから資格を取得し、先輩方から仕事を任せていただけるような人材になっていきたいと思います。

「これからどうなっていくかよく見とけ」これは私が小学4年生の時に起きた東日本大震災で被災し、変わり果てた町を見て建設業界で働いている父が私に言った言葉です。私の生まれ育った町は宮城県本吉郡南三陸町。町の8割が津波にのまれ東日本大震災で被災した地域の中でも特に被害が大きいとされた地域でした。変わり果てた町の姿、絶望する人々、町から去ってゆく人々、人間の脆さ、人同士の争い。当時小学4年生の私にはあまりにも衝撃的な光景と、言葉で言い表す事の出来ないような感情が深く刻まれたのを覚えています。そんな状況の中、余震と再度津波がくる事を考慮し避難場所を移すため内陸へと家族で瓦礫の中を歩いている時でした。私が最初に目にしたのは瓦礫撤去作業を行う建設業界の人々でした。建設用機械で瓦礫を移動し道路を切り開き、私たちの歩く道を作っていました。当時の私にはその道を使って自衛隊の方々が入って来られるようになった事など知る由もなく、ご飯やお風呂、服や布団など衣食住の支援をしてくださった自衛隊の方々がすごい。と思うばかりで、そこに確かにあった建設業の力に気づく事ができませんでした。そこから時が流れ私に変化があったのは仮設住宅が町の高台に次々と建設され、避難所生活から自分たちの家へと移り変わる時でした。当時の私が初めて建設業の力をすごいと感じ、認識した瞬間でした。ものすごい数の住居と環境を作り上げ、人々にこんなに感謝される仕事が建設業なのか。と思ったと同時に建設業に憧れを抱くようになり、さらに町の変化に人一倍、目を向けるようになりました。それから歳を重ねるごとに徐々に父が私に言った言葉の意味がわかり始めました。町の瓦礫がどうやって無くなったのか、防波堤がどうやってつくられるのか、道路は誰が作っているのか、町全体の嵩上げは誰がやっているのか、山を開き新しい土地を作り建物をつくっているのは誰なのか、全て建設業の力だと自分の目で見て初めて理解する事ができ「町は建設業の力で復興する」と私は確信しました。その時に私のやりたい仕事は決まりました。それは人々が絶望するような状況を変える力がある建設業でした。

それから12年の歳月が流れ、現在私は小学4年生の時に目にした自分の町の瓦礫を移動させ、復興への第1歩目の作業を行なっていた建設会社に入社し、まもなく3ヶ月が経とうとしています。現場配属後なにもわからず、職人さん達とも話ができず、先輩に少しずつ教えていただいた仕事をこなす日々で、私の中でのイメージと現実のズレを感じていました。とりあえず「見る事と自ら聞く事」をしてみようと思い、先輩と職人さんが何をしているのか見て、疑問があれば声をかけ「教えてください」と行動するようになりました。すると任せてもらえる仕事が増えたり、職人さんが「現場は慣れたか?」「今日の朝礼良かったぞ」と声をかけてくれたりするようになりました。私の今の仕事は工種ごとに職人さんが行う作業の写真を撮影し、書類としてまとめる事です。その中で見る職人さんの技術力や精度の高さに驚く毎日です。しかし私が質問をしたり、話を聞いたりしていると「若い人がいない」「担い手がいない」とよく耳にする事があります。私はこれこそ現在建設業界が直面している人材不足問題そのものなのかと感じさせられました。やはり世間のイメージでは今でも建設業は「3K」のままであり、これから働く人達が憧れる職業としては難しいのが現状だと思います。それでも私は建設業の力に助けられ、憧れ、実際に建設業界で働けている事に誇りを持っています。そこにはより身近で感じた建設業の力、技術力の高さが私をそうさせたと感じています。そんな私には「3K」や「人材不足」などで今の職人達の持っている高度な技術、建設業の持っている力を衰退させていいとは感じていません。東日本大震災の記憶を忘れてはならないのであれば、あの時に「どのようにして町が復興へと向かったのか」も忘れてはいけないはずです。だからこそ私は今を生きる人々に建設業の持つ力と技術を知ってほしい。「あなたの住んでいる家」「あなたが通っている学校」「あなたが見上げているビル」全て人の手で造られたのです。そこには建設業という大きな力の中に幾万とある職人の技術が詰まっています。そこに興味を持ってほしい。触れてほしい。そのために私は自分が肌で感じた「建設業の力・技術力の高さ」を多くの人へと伝えて行きたいと思います。これから先、建設業に携わる人が増えれば建設業はもっと進化する。私はそう信じてこれからも建設業の力の一部として、建設業と共に進化を続けていきたいと思います。

 

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