名建築のつくり方
校倉造に似た外壁は何でできている?
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「国立劇場」は東京都千代田区隼町に1966年に完成した。建て替えを目指して2023年10月に閉場したが、今も往時の姿をとどめている。
民間資金を活用するPFI方式の入札が2度不調となり、現在、3度目の入札が行われている。過去2度の入札では、高級ホテルを一体で整備・運営する付帯事業が必須とされたが、3度目の入札ではホテル設置を「任意」とした。契約締結は2027年12月頃を予定。2036年までの完成を目指すとしている。
しかし当初2029年度を目指していた再開場の時期が大幅に延びることから、元の建物を改修して使うべきという声も強まっている。2026年8月には都内で「国立劇場の早期再開場へ向けて」というシンポジウムも開かれた。
先の見えない中で、1つの投げ掛けとして、この建築の最大の特徴である外壁の製作方法について振り返ってみたい。
プレキャストの新表現を模索
国立劇場の設計者は、1960年代の建築界で「三大コンペ」と呼ばれた公開設計競技で設計者を選定した(他の2つは国立京都国際会館と最高裁判所)。注目度は高く、307者が応募。当選したのは竹中工務店設計部の岩本博行(1913~91年)だった。
その案は、明らかに校倉造を思わせた。校倉とは柱を使わず、三角形の校木を井桁状に積み上げて壁を立ち上げる日本古来の技法。奈良・東大寺の「正倉院」がその代表格だ。
岩本の案は、これを工場製作したプレキャストコンクリートを組み合わせてつくるものだった。当時は古典的な様式を打破するモダニズム建築の全盛期。当選直後から、建築評論家の川添登や宮内嘉久らに、過去の建築様式の適用だと批判された。
しかし、本連載で取り上げた「三愛ドリームセンター」(1963年竣工)がそうであったように、1960年代はプレキャストコンクリートの新しい表現が建築界で盛んに試された時期。これも最先端を追う流れの1つであった。
軒高14mの外壁には、上下30段のギザギザ面があり、水平性を強調する。図面を見ると、校倉でいうところの校木が一本一本分かれてはいない。壁とは別に建物を支える柱があり、壁は力を負担しないカーテンウオールだ。

コンペ後に「木造の色」に変更
岩本はこの外壁で木造建築の色合いを表現することにこだわった。試行錯誤の末、硫酸第一鉄に硫酸マンガンを加えた水溶液をコンクリートの表面に塗り、化学反応で色素を定着させる「ケミカル・ステイニング」という方法にたどりついた。
それに加えて、コーナー部のデザインが効いている。直角に交差した突起部を、一本一本分かれているように見せた。コーナーの印象から「全体が積み上げられている」と錯覚する。
岩本のそうした苦労は、結果的には裏目に出たのかもしれない。完成時、建築評論家の神代雄一郎はこう評した。「その校倉風の外壁の、濃い茶褐色が暗く沈んでおり、内部もまた明暗のリズムを欠いて、一帯にぼんやりとよどんでいる。(中略)奈良時代の正倉院の明るいおおらかさは存在しない」。
実は、岩本のコンペ案では、外壁は白一色だった。前庭には白砂利が敷き詰められ、なんとも明るいイメージだった。岩本によれば、コンペ案の白は、赤坂のアメリカ大使館公邸(1931年竣工、設計:アントニン・レーモンド他)の白壁を評価したためだという。しかし岩本は、コンペ後に正倉院を何度も見学するなかで古木のテクスチャーに惹かれ、「黒褐色」への変更を自ら提案したという。白一色は美観の維持が難しいという建設省からの要望もあったようだ。
現在進行中の再整備計画が今後、「建て替え」から「改修」の方向に転じることがあるならば、外壁を白に変えることも選択肢に加えてもよいのではないだろうか。

参考文献・資料:
『新建築』1966年12月号、「国立劇場本館の建築史的評価(概要版)」(藤岡洋保著)、「国立劇場の『記憶』」(日本芸術文化振興会WEB)
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