名建築のつくり方

名建築のつくり方
2023年12月・2024年1月 No.554

世界遺産を招き寄せた日本初の地震対策は?

A アンサー    2. 柱を持ち上げ、地盤との間にゴムを挟む

国立西洋美術館が誕生するきっかけは、「松方コレクション」だ。実業家の松方幸次郎(1866~1950年)がヨーロッパで買い集めた膨大な美術品コレクションは、第二次世界大戦末期にフランス政府の管理下に置かれ、終戦後、フランスの国有財産となってしまう。フランス政府は日仏友好のために大部分を日本に返還することを決定。これを展示するための美術館が計画された。

設計者はフランスを拠点とする建築家のル・コルビュジエに決まった。日本側でル・コルビュジエの3人の弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が設計をフォローし、1959年に国立西洋美術館(現本館)が竣工した。

36年後の1995年に起こった阪神・淡路大震災では、多くの美術館の建物や美術品が被害を受けた。国立西洋美術館本館も、必要な耐震性能の半分以下の性能しかなかったため、早急に耐震性能を高める工事を行う必要があった。

当時の一般的な改修方法は、耐震壁を追加したり、柱・梁を補強によって太くしたりする「耐震補強」だった。当時の資料には、この建築の最大の特徴ともいえるピロティ部分に耐震壁を加える検討を行った記録も残る。

従来の方法ではル・コルビュジエの考えた空間構成が損なわれてしまう──。建設省関東地方建設局(現・国土交通省関東地方整備局)は、構造を専門とする岡田恒男氏や建築史家の鈴木博之氏らをメンバーとする検討委員会を設置。文化的価値と安全性を両立する方法として、日本初の「免震レトロフィット」を採用することを決めた。

建物と地盤を切り離す

「免震レトロフィット」は、既存建物の柱の下部などに免震装置を新たに設け、地震に対する安全性を高める補強方法だ。

その前に「免震」とは、建物と地盤を切り離し、揺れを伝えにくくする構造を指す。具体的に言うと、建物と地盤の間に大きなゴム状の素材や、転がったりすべったりする仕組みを挟む。地面から浮いた状態に近づけることで、建物の揺れを小さくするのだ。日本では1980年代後半から徐々に普及し、1995年の阪神・淡路大震災以降、爆発的に広まった。しかし、国立西洋美術館の改修以前は、すべて新築の建物だった。

免震レトロフィットは、日本が世界に先んじたわけではない。アメリカでは1989年、サンフランシスコを襲ったロマ・プリータ地震の後、被災した歴史的建物を復旧・保存するために、免震レトロフィットが相次いで実施されていた。

 

建物を持ち上げるのに苦労

国立西洋美術館本館では、計49台の免震装置を使用した。免震装置はゴムと鋼板を交互に重ねたミルフィーユのような構造で、1台あたり約140~300tの重さがかかる。地震により建物が40cmずれてゴム層が斜めに変形した状態でも、建物の自重と地震による力を支えられる。

改修特有の苦労もあった。免震装置を取り付ける際には、地盤と分離した建物を一時的に支える鋼管杭を新たに設ける必要がある。だが、既存の建物の下には杭を打つ機械を置く十分なスペースがない。そのため、輪切りにした鋼管杭を床下で継ぎ足しながらジャッキで圧力をかけて順次地中に押し込んだ。

免震部と非免震部の間に架け渡すエキスパンションジョイント(伸縮継ぎ手)のデザインにも苦労した。前庭とピロティの連続的なつながりを断ち切らないデザインとするため、約2年間をかけて実験を重ね、40cmの変位に対応できる平らなパネルを開発した。

2016年7月、国立西洋美術館本館は「ル・コルビュジエの建築作品─近代建築運動への顕著な貢献─」として世界文化遺産に登録された。このときの工事がもし従来の耐震補強工事であったら、全く違う未来になっていたかもしれない。

 

参考文献・資料:
国土交通省「これって何?免震レトロフィット」、日経アーキテクチュア1996年7月29日号、同1997年5月5日号、清水建設のWEBサイト

 

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