連載

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2022年4月 No.537

配水塔が語る「東京水道物語」

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木技術者になるには』(ぺりかん社刊、2022.4発刊)


街のシンボルとして親しまれている野方給水塔。東京郊外の人口が急増した大正末期に計画された「荒玉水道」の遺構だ。大小の水道が統合され、現在の東京の水ネットワークの基礎が形作られたこの時期に、どんな構想があったのか。「荒玉」に秘められた謎を探る。

東京・中野の住宅街の隙間から、ぬーんと現れる野方配水塔。哲学堂公園の近くの少し高台に建っているので、街のいたる所でひょっこりと顔を出す。ここにこの配水塔があることは知っているのだが、たまたま通りかかったときに出くわすと、意表を突かれて「おお!」とびっくりする。そのくらい、大きくて存在感がある。そしてなんだかあったかい。

▲野方配水塔の正面には幼稚園がある。配水塔を眺めながら育つ子どもたちがうらやましい。

街なかに突然現れる大きな丸いドーム

今回、この連載のために撮ってきた写真を改めてよく見ると、何かに似ている。半球形のドーム屋根、その下の付け柱や小さなアーチ窓。クラシックなロマネスク風の外観は、ヨーロッパの教会のようにも見える。だが、私が直感的に「似ている」と思ったのはそれじゃない。

あ!分かった、東京ジャーミィだ。小田急線の車窓から見えるこの美しいモスクは、東京・代々木の街なかにある。住宅や低層ビルの間から突然、大きなドームが現れる感じが、野方給水塔の「現れ方」と似ているのだ。東京の都市景観の中の半球体。どちらもドボかわいい。

どんな建築意匠もおおらかに受け入れ、街の個性にしてしまうのが東京の懐の深さ。あっと驚く景観に思いがけず出合える楽しさこそ、東京の魅力だ。

▲野方配水塔の容量は2784m3で、同じ大きさの大谷口配水塔と合わせて人口60万人に対し2時間分の水を貯めることができた。
正面の凸部分は階段室。補修のため北側は足場に覆われていた。

荒川と多摩川をつなぐ幻の水道計画

野方配水塔は、大正時代末期から昭和の半ばまで使われていた「荒玉水道」の施設として、1929年に竣工した。

荒玉水道は、当時まだ東京郊外の郡部だった現在の中野区や板橋区方面への給水を目的として設立された公営水道。東京郊外の人口急増による水不足に対応するべく計画された。多摩川の伏流水を取水し、近くの浄水場できれいにしてから、地下の送水管で2カ所の給水所へ送り、そこからそれぞれ自然流下によって各家庭や事業所に配水する。

この計画に沿って建設されたのが、砧浄水場と中野の野方配水塔、板橋の大谷口配水塔だ。砧浄水場から大谷口配水塔まで、総延長約17kmの送水鉄管が今もなおほぼ直線で埋まっていて、上を通る道は「荒玉水道道路」と呼ばれている。

荒玉の「玉」は多摩川(玉川)を指す。で、「荒」は何かといえば、荒川だ。水源は多摩川だし、荒川は関係あるの? と思うところだが、中野や板橋はそもそも多摩川ではなく荒川の流域だ。なぜ、水源が多摩川なのだろう。

そのカラクリは、荒玉水道の構想をひもとけば分かる。じつは荒玉水道は、多摩川から荒川流域へ水道を引き、いずれは荒川からの水道と合流させようという構想に基づいて計画されていたのだ。

▲大谷口給水所の新しいポンプ棟。旧配水塔のデザインに似せてつくられた。

東京全体をカバーするパズルのラストピース

荒玉水道計画の上位にはさらに、東京全体の給水計画の青写真があった。東京市水道を中心として、西南側には渋谷町水道、東側の江戸川水道、そして西北側に荒玉水道を敷設する。そうすれば、郡部を含めた東京全体の給水がカバーできる―。それが“近代水道の父”、中島鋭治工学博士の考えだった。

中島は、そのときすでに東京市水道、渋谷町水道、江戸川水道の計画を手がけていた。他にも小規模な町営水道はあったが、多くはこれらの水道からの分水だ。つまり、荒玉水道という最後のピースをはめれば、東京の水道パズルは完成する。最後の総仕上げともいうべき仕事だった。

ちなみに、渋谷町水道と駒沢給水所配水塔については、この連載の第31回「博士の遺した双子のクラウン」で紹介した。

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ところが、残念なことに中島は1925年2月、荒玉水道の完成を見ることなく急逝。後を引き継いだ技術者たちによって工事は無事に完了し、1931年6月に給水を開始した。

その翌年の1932年10月、東京市の市域が拡張され、中野や板橋が編入された。これに伴い、荒玉水道を含む公営水道も東京市水道に統合。それぞれの水道間の連絡を図ることで、断水のリスクを減らす、水道料金を統一するなど効率化が進んだ。

一方で、荒玉水道が荒川を水源とする水道と結ばれることはなかった。大谷口配水塔は老朽化により2005年に解体。野方配水塔は1966年に役割を終え、現在は中野区の災害用給水槽となっている。

3月半ばに野方配水塔を訪れたとき、円筒の北面は足場に覆われていた。工事看板によれば、2月から始まった補修工事だ。11月半ば過ぎには、化粧直しを済ませて往時の美しさを取り戻した姿を見せてくれることだろう。

▲荒玉水道道路。水道管が埋まっているため、大型車両の侵入を拒む。車止めには「水道局用地」の赤い文字。

 

●アクセス

都営地下鉄大江戸線落合南長崎駅から徒歩12分

 
 

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