連載

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2017年11月号 No.493

かわいい土木 山里に近代の夜明けを運んだハイカラ吊り橋

岐阜県は北の飛騨地方と南の美濃地方からなる。今回紹介するかわいい土木「白川橋」は、飛騨高山の白川郷ではなく、中濃に位置する白川町に架かる鋼トラス吊り橋だ。急峻な山々に囲まれた村と駅をつなぐモダンな橋は、大正末期のこの地にとってまさに近代化の掛け橋だった。1世紀近くを経て今なお往時のままの端正な姿で町の玄関口を飾っている。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP 社刊、共著)


大正時代最後の年となった1926年の3月、岐阜の山あいの小さな村、西白川村(現在の白川町)に、人々が待ち望んでいた鉄道がやって来た。旧国鉄高山線だ。その5年前に岐阜ー各務ヶ原駅間が開業したのを皮切りに、1、2年ごとに10kmぐらいずつ延伸し、ようやく村まで到達したのだ。
このとき、新駅「白川口駅」の開業と同時に架設された道路橋が、今回取り上げる「白川橋」だ。

橋長115m、幅員4m。約10mの高さの鋼トラス主塔2本でケーブルを吊っている。当時の欧米風のモダンなデザインだが、材料も含めて純国産だ。
2006年に土木学会選奨土木遺産、2013年に国の登録有形文化財にそれぞれ指定された。

駅と村をつなぐ掛け橋

高山線は、飛騨川の右岸と左岸を行き来しながら谷筋を縫って進む。この付近では、西側の右岸を線路が通っている。白川口駅が設置されたのも、当然ながら西側だった。
ところが、西白川村は、東から流れて飛騨川に合流する白川に沿って発展したことから、飛騨川の東側に居住地が広がっていた。村人たちはせっかく新駅ができても、そのままでは幅100mに及ぶ飛騨川に遮られ、鉄道を利用することができないのである。そこで、駅への動線として白川橋が架設されたわけだ。
下の写真は、現地を取材したときに町役場の壁に飾ってあったもの。神官を先頭に、正装の人々が真新しい白川橋を渡っている。岐阜県の発行するパンフレット「ぎふ歴史的土木構造物」にも同じ写真が掲載されていて「大正15年 完成式典」とある。よく見ると、行列の中ほどに角隠しを被った若い女性が写っているので、花嫁道中を兼ねているのかもしれない。いずれにしても、ハイカラな鋼製の吊橋を渡る人々はどこか神妙な面持ちだ。建設当初は床版が木製だったと資料にあるが、この写真でも確かにそう見える。

大正末の竣工当時の様子。岐阜県の資料には「完成式典」とある。
現在の白川橋は銀色に塗装されているが、現地で出会ったお年寄りによれば「昔は白だった気がする」。床版は木材だった。

軽やかな主塔と土偶的橋脚

鋼トラス吊り橋である白川橋の魅力は、何と言ってもケーブルを吊る主塔の美しさにある。
主塔は鋼材がトラス状に組まれ、柱と梁をつなぐ部材がアーチ状になっている。ちょっとエッフェル塔の足元部分に似ていなくもない。橋の袂の説明板によれば、桁だけでなく主塔まで鋼トラス構造なのは全国的にも珍しいという。
ガセットプレート(接続部の四角い板)やリズミカルに並ぶリベットが、トラスにアクセントを与えている。主塔の梁の中央には「白川橋」と右から書いた扁額が付いていて、四周をリベットで囲んであるのも、アップリケのステッチのようでドボかわいい。
一方、軽快なトラスの主塔を支えているのは、円錐状の柱2本を門型につなげた橋脚だ。どっしりと踏ん張る感じが、土偶の足を連想させる。橋の上から覗き込んで橋脚を見ると、苔に覆われた鉄筋コンクリートの地肌が見えた。年月を経て黒ずんだコンクリートが深い味わいをかもし出している。

主塔を支える橋脚の上部。
苔むした鉄筋コンクリートは竣工時のままと思われる。

補剛桁の銘板には「大正十五年製作 大阪 日本橋梁株式会社」とある。現在も存続する同社は当時、創立8年目の若い会社だった。

自然の猛威に耐えた90年

白川橋の竣工から今年で91年。この間、どれほどの自然の猛威にさらされてきたことだろう。
中でも1968年8月には、白川町の名を全国にとどろかせた大惨事が起こった。この橋から2kmほどの国道で台風による集中豪雨のため土砂崩れが発生し、観光バス2台が飛騨川の激流に転落。乗客104人が命を落とす日本の交通事故史上最悪の事態となった。白川口駅付近でも路盤崩壊と土砂崩れが見つかり、電車が1ヵ月近く不通となったほどだった。
9割を山林が占める白川町は、標高の高低差が激しく、昼夜の気温差も大きい。構造物の耐久性にとって、決して好適ではないはずだ。それでも白川橋の修理は、何度か塗装をやり直し、床版を鋼デッキプレートとコンクリートに変更した程度。それ以外は桁や主塔の鋼トラス、ケーブル、橋脚いずれも1世紀近くの間、架設時のままの姿を保つ。
役場近くのカフェの気さくなマダムが「白川橋は雪景色が一番好き」と言っていた。まちを見守る長老橋は、変わらぬダンディーぶりで人々に愛されている。

駅前の歩道橋から見た全景。
1960年にすぐ下流に見える国道41号飛泉橋が架設され、白川橋は歩行者・二輪車の専用橋となった。

アクセス

JR高山本線白川口駅から徒歩1分。岐阜から白川口までは約1時間半。

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