連載

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2021年5月 No.528

超速で実現した「世界初」の大屋根

A アンサー    3.若戸大橋

前東京五輪の招致が決定したのは、開幕の約5年前、1959年5月だった。国立代々木競技場(当時の名称は「国立屋内総合競技場」)の設計は、その段階ではまだ始まっていなかった。

招致決定の頃には用地交渉中で、アメリカとの約2年間の交渉の末、1961年10月、現在の代々木公園にある「ワシントンハイツ」に選手村と競技場を建設することが決定した。競技場の設計が正式に発注された段階では、開幕まで3年を切っていた。今ではとても信じられないスケジュールだ。

設計者に指名されたのは丹下健三(東京大学助教授)、坪井善勝(東京大学教授、構造)、井上宇市(早稲田大学教授、設備)の3氏(肩書は当時)。設備の話もとても面白いのだが、このコラムでは「つくり方」に直結する、構造と施工の話に絞って紹介する。

世界初の「二重の吊り構造」

設問にある「シドニーオペラハウス」の公開コンペの結果が発表されたのは1957年。当選したデンマークの建築家、ヨーン・ウッツォン(1918〜2008年)の案は、世界の建築界に衝撃を与えた。巨大な貝殻が重なるような大胆な造形は、“新たな構造の時代”を予感させた。

ウッツォンのデザインは、国際的なエンジニアリング組織であるアラップのサポートにより、プレキャストコンクリートで実現した。プレキャストコンクリートとは、現場で生コンを打設するのではなく、あらかじめ工場でつくったコンクリート部材を、現場でつなぎ合わせる手法だ。実現までに多大な費用と時間を要し、完成したのはコンペから16年後の73年だった。

シドニーオペラハウスは2007年に世界遺産に認定され、結果オーライだったともいえるが、かかった時間でいえば国立代々木競技場の何と優秀なことか。技術への挑戦という点でも、代々木はシドニーに劣らない。

シドニーがプレキャストコンクリートのシェル構造で大空間を構成したのに対し、代々木は吊り構造を採用した。シェル構造とは貝殻のような薄い膜で屋根を架ける方法で、ドーム形の場合、屋根を構成するコンクリートには圧縮の力が働く。吊り構造は、これとは逆に、部材に引っ張りの力が働く。

代々木の設計当時、吊り構造の建築として有名だったのが、フィンランド人の建築家、エーロ・サーリネン(1910〜1961年)の設計で1958年に完成したイエール大学・ホッケーリンクだった。「クジラ」の愛称を持つこの建物は、真ん中にコンクリートの大きな梁をアーチ状に架け渡し、そこから両サイドにケーブルを張って屋根を支えている。

一方、丹下健三(1913〜2005年)を中心とする設計チームが代々木の第一体育館で考えたのは、メインの吊り材からサブの吊り材を吊る「二重の吊り構造」。建築では世界初のアイデアだ。

分野を超え、先端技術に学ぶ

その発想に近かったのが、吊り橋だ。第一体育館の構造は、2本のメインケーブルから縦にハンガーロープを垂らして橋桁を吊った橋を想像すると理解しやすい。

代々木の関係者が参考にしたのが、当時建設中だった福岡県北九州市の「若戸大橋」だという。日本初となる大きな吊り橋だ。現在の若松区と戸畑区間を行き来する方法が船しかなかった時代に計画され、2年半の調査研究を経て、大成建設の施工により着工。1962年9月に開通した。全長627m、支間長367mの吊り橋は当時、「東洋一の夢の吊り橋」と言われた。

ちなみに、代々木競技場の施工は大成建設ではない(第一体育館が清水建設、第二体育館は大林組)。しかし、設計開始から3年弱という驚異的なスピードで完成した背景には、分野や組織を超えて「世界に誇れるもの」を目指す技術者間の発奮興起があったのだ。

(着工後の格闘は次回に)

参考文献:
『建築技術』2020年7月号「『代々木』からのメッセージ」、清水建設サイト「挑戦のシンボル 『国立代々木競技場』」(2017年9月1日)、北九州市サイト「若戸大橋のこれまでのあゆみ」(2019年11月14日更新)、日本スポーツ振興センターのサイト「国立代々木競技場の歴史詳細」

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