連載

連載
2021年2月 No.525

猿王の谷渡りにインスパイアされた橋

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP   社刊、共著)


猿たちが協力して谷を渡る様子にヒントを得て造られたと伝わる猿橋。江戸時代にはすでに現在と同じく、橋脚を使わずに桁を支える桔橋はねばしになっていたが、飛鳥時代とも言われる創建時には吊橋だったという説もある。猿の行動を模倣したとすれば、今注目の「バイオインスパイアード」のさきがけかもしれない。

 

▲猿橋は橋長30.9m、幅3.3m。水面からの高さは31mある。かつては甲州街道の橋であり、拡幅されて自動車が通っていた時代もあった。今は江戸時代の幅員に戻り、人道橋となっている。

峡谷の両岸から猿の群れがスクラムを組み、その背中を仲間の猿たちがスルスルと踏み越え、渡っていく―。猿橋の構造を見ていると、そんな空想が浮かぶ。

スクラムのような部分は、2列4段に重ねられた「はね木(ね木)」だ。桔木の端を両岸の岩壁に埋め込み、少しずつ前方へせり出しながら重ねることで、てこの原理で橋桁を支えている。こうした形式の橋を「桔橋(刎橋)」と呼ぶ。

橋のたもとから階段で下へ降りられるようになっていて、桔木の様子がじっくり味わえた。桔木と桔木の間には、直行方向に短い部材がいくつも挟んであり、それぞれに雨水よけの小さな屋根が付いているのがドボかわいい。

▲少しずつせり出す桔木と、間に挟んだ短い枕梁のそれぞれに小さな屋根が付いている。

橋脚いらずの木造桔橋 最大の敵は雨

桔橋は、橋脚を立てなくても桁を支えられることから、深い谷や暴れ川に架橋する場合などに重用された。例えば、富山の黒部川に架かる愛本橋も、今ではアーチ橋となっているが、かつては桔橋だったという。ちなみに、猿橋とこの旧・愛本橋は、岩国の錦帯橋とともに「日本三奇橋」と称されてきた。

しかし、木造の橋は風雨にさらされて腐りやすいうえ、桔橋では桔木の付け根部分に雨水が集まることから、寿命が短い。猿橋も江戸時代初期から20〜30年ごとに架け替えの記録が残っている。明治時代になり交通量が増えると、各地の木造桔橋は、耐久性が高く寿命の長い形式の近代橋梁へ置き換えられていった。

ところが、猿橋は例外だった。1900年(明治33年)の架け替えの際、拡幅のために桔木を2列から3列へと増やす変更がなされたものの、桔橋の形式は維持された。1932年(昭和7年)には、国により名勝の指定を受けている。

1934年に上流側に新猿橋が架橋され、道路橋としての役割を終えた後、1984年には江戸時代と同じ桔木2列に復元されて現在に到る。同時に、将来的に巨木の入手が困難になるであろうことを踏まえ、鉄骨に木材を貼った鉄骨造木装となった。

偽書「大成経」も絡む猿王のミステリー

猿橋の創生はミステリアスだ。橋のたもとには猿を祀った山王宮の小さな祠がある。その脇の石碑に「猿橋記」という碑文が刻まれており、二つの伝説が紹介されている。一つは、昔、猿王が伸びたつるに跳ね上がってよじ登り、対岸へ渡ったのを見た人が、橋の構造をひらめいたという話。もう一つは、推古天皇の時代に、百済から来た志羅呼しらこという人が、猿王が藤蔓を伝って対岸へ渡るのを見て、これをヒントに橋を作ったという話だ。

一方、江戸時代に編纂された地誌「甲斐国志」にも「推古帝の22年に白癬しらはたという橋づくりのうまい百済人を派遣して架けさせた各地の橋の中に、兜岩猿橋とあるのが猿橋のことだろう」と書かれている。志羅呼と白癬で名が少し異なるとはいえ、内容は猿橋記と同じだ。ところが、甲斐国志の記述のソースが偽書とされる「旧事大成経」であることから、真偽は定かでないという。

創設時期だけでなく、猿橋が当初にどのような形式であったかも分かっていない。江戸時代の1706年に荻生徂徠おぎゅうそらいが書いた旅行記「峡中紀行」には「橋の下には柱がなく、両岸から大きな木材を上に行くほど約30cmずつ張り出すように重ねている」とあり、この頃はすでに桔橋であったようだ。しかし、別の書物には、「昔は葛橋だったが、今は桔橋である」という記述があり、創設時は吊橋だったとも考えられている。

▲橋のたもとには、猿王を祀る山王宮と猿橋記碑がある。

飛鳥時代の橋梁技術にバイオインスパイアード?!

興味深いのは、いずれの伝説にも共通する「猿が谷を渡る様子をヒントにした」という点だ。では、実際に猿はどのようにして谷を渡るのか。動画サイトで検索した限りでは、残念ながらスクラム型はヒットしなかった。

だが、驚いたのは、猿の群れが上下2本の電線を使い、上の電線につかまりながら下の電線を綱渡りのように進む動画だ。吊橋の原型はまさに、左右2本のロープを手すりに、下のロープを足場として進む形だったと言われる。ひょっとすると、人間は猿の行動を真似て吊橋を考案したのかもしれない。

生きものの動きを模倣した技術開発の手法は「バイオインスパイアード」と呼ばれ、最近ではロボット技術への展開などで注目を集めている。もしも猿橋の伝説が事実なら、およそ1400年前の飛鳥時代からすでにバイオインスパイアードが実践されていたことになる。土木ってやっぱり面白い!

▲桂川の狭くて深い谷。写真上方に猿橋の桔木が見える。

 
■アクセス
JR中央本線猿橋駅から徒歩約15分。
 

過去の「ドボかわ」物件を見逃した方も、全部見ているよという方も、
こちらをクリック! 魅力的な土木構造物がいっぱい

  

 

【冊子PDFはこちら

関連記事

しんこう-Webとは
バックナンバー
アンケート募集中
メールマガジン配信希望はこちら