連載

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2020年10月号 No.522

「象の鼻」に始まった港ヨコハマ物語

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP   社刊、共著)


現在、象の鼻パークとして人々の憩いの場となっている地区は、日本が開国したときに港として整備された「横浜港発祥の地」だ。ここに、弓なりの防波堤「象の鼻」がある。元はまっすぐだった突堤が、どうしてこんな形になったのか。いつからこの名になったのか。今回は「象の鼻はなぜ伸びた?」というお話。

▲象の鼻は小型旅客船の係留施設として現役。防波堤の奥の大さん橋には、飛鳥Ⅱが停泊している。
 

横浜港大さん橋国際旅客ターミナルに、日本最大の客船「飛鳥Ⅱ」が停泊している。その大さん橋の付け根あたりから横へ張り出している防波堤が「象の鼻」だ。まさにゾウの鼻のように、大きくカーブを描いている。先端まで歩いてみると、鼻の先にあたる部分がくるんと丸くなっていてドボかわいい。

二度目の来日で象の鼻に上陸したペリー提督

一帯は、横浜開港150周年の記念事業で、2009年に象の鼻パークとして再整備されたが、この場所に波止場が最初につくられたのは開港と同時なので大変古い。というより、この場所こそが「横浜港発祥の地」なのだ。

じつは1854年3月、ペリー提督が黒船で二度目に日本へやって来て、上陸したのも象の鼻地区だった。このときに日米和親条約が締結された。

4年後の1858年に日米修好通商条約が結ばれ、「神奈川」が開国港の一つに決まった。貿易で有利になるよう、江戸の近くに港を開きたかった幕府側の提案だ。しかし、アメリカが要望した神奈川湊は東海道の宿場であり、日本人の攘夷派を刺激しかねない。幕府は苦肉の策として、小さな漁村であり和親条約ゆかりの地でもある横浜を「ここも神奈川だ」と主張し、開港場にしたという。

こうして、象の鼻地区に東波止場、西波止場という二つの突堤が建設されたのが、横浜港の始まり。ただし、このときはまだ現在のようにカーブした防波堤ではなく、直線的な突堤が平行に並んでいる状態で、東は外国船の輸出入貨物積み下ろし用、西は国内船用として使われた。

だが、沖合に停泊した船と行き来して貨物を運ぶ「はしけ」は、波風の影響を受けやすく、荷役ができないこともあり、改良が課題となっていた。

そんなとき、大きな火災が起こる。豚肉料理の店を火元としたことから「豚屋火事」と呼ばれるこの火事で、税関の前身である運上所などが被災。復興に合わせ、波止場の機能も強化することになった。海へまっすぐ延びていた東波止場の突堤の鼻先を西側へ弓なりに延ばし、船着き場と防波堤を兼ねるようにしたのだ。工事は1867年に完成した。

▲防波堤の付け根から先端を見る。弓なりに弧を描く形がゾウの鼻に似ていることから「象の鼻」の名が付いた。

イギリス波止場がいつしかゾウの鼻に見立てられて

東波止場は当初「イギリス波止場」とも呼ばれていたが、いつ頃からか、その見た目から「象の鼻」の名称を得たようだ。

1896年に内務省臨時横浜建築局が発行した『横浜築港誌』には「其埠頭ハ(略)西方ニ屈曲シテーノ象鼻形ヲ為セリ」と表現されている。「テーノ」は「ていの(丁の字のような形の)」と読むのだろうか。また私は最初、「象鼻ぞうび形」は社寺建築に見られる木鼻きばな(柱から突き出た部分に付ける彫刻)の「象鼻」に見立てたのかと思った。当時、本物のゾウを見たことがある日本人はそういないと考えたからだ。

だが、調べてみると、明治時代にはゾウの見世物が流行し、1888年に上野動物園で飼育されるようになって以降、全国でブームになったという。だとすれば、西波止場を訪れ、「ゾウの鼻みたいだね」と思う人は案外多かったのかもしれない。

いずれにせよ、1910年の地図には「英吉利西波止場」、1929年の地図には「象の鼻」と記されていることから、昭和初期にはこの名称が定着していたようだ。

小さな波止場がゾウのように大きな国際港湾に成長

東波止場は改良したものの、貿易量の増大によってすぐ手狭になり、1889年には港の拡大に着手。これが、前回紹介した赤灯台・白灯台の建つ東水堤、西水堤と鉄製の大さん橋の工事だ。(https://www.shinko-web.jp/series/5802/

その後、1917年には西波止場側に「新港埠頭」が完成。横浜港は、設備を備えた近代港湾施設として生まれ変わった。

象の鼻はというと、1923年の関東大震災で被災し、直線的な形状に復旧されていたが、現在は写真のように明治期と同じように美しい曲線を取り戻している。

象の鼻の先端に立って陸を眺めると、内側の船だまりはごく狭い。対岸には「クイーン」の愛称で知られる横浜税関の建物が目の前に見える。「キング」こと神奈川県庁もすぐ横だ。長い間、日本有数の国際港湾の座をほしいま
まにしてきた横浜港が、この小さな波止場から第一歩を踏み出したと思うと感慨深い。

▲関東大震災で沈下した開港初期の石積み護岸の一部が保存されている。
 ▲復元した部分にも古い石積みが使われた。
 
▲防波堤の先端部。対岸にはクイーン(右側)やキング(左端の茶色)が見える。
 
 
■アクセス
みなとみらい線日本大通り駅の出口1から徒歩約3 分
 

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