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連載

連載
2019年11月号 No.512

かわいい土木 カタツムリの殻が秘めた 歴史ミステリー

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP   社刊、共著)


近代水道が引かれるまで、飲み水の確保は生活の一大事だった。東京西部の武蔵野台地上の集落では、深い井戸を掘らなければ水が出なかった。そこで生まれたのが「まいまいず井戸」だ。くるくると螺旋状に降りていくドボかわいい形状のこの井戸には、謎が満ちている。

 

▲すり鉢の底に屋根をかけた井戸がある。澄んだ水が溜まっていた。
 
マイマイとは、カタツムリのこと。「まいまいず井戸」では、地上から水場まで、螺旋状の通路を降りていく。その形状がカタツムリの殻に似ていることから、こう呼ばれている。ねじのようにくるくると巻いた通路が、壁面の緑に映えてドボかわいい。
 
機械がなく、掘削の技術も発達していない昔は、細い筒状の穴を深く掘るのは容易なことではなかった。そこで、地表から深いところに地下水の層がある場所では、崩れやすい砂れき層の部分をまずすり鉢状に掘り、その底に垂直の井戸を掘ったのだ。
 
まいまいず井戸は、江戸時代に「上総かずさ掘り」が開発される以前からある原始的な掘削方法と言われている。上総掘りは、やぐらを組んで大きな車輪を仕掛け、竹の弾力を利用して鉄ノミを打ち付けることで穴を穿つ、いわば簡素な機械掘りだ。これに対して、まいまいず井戸はすべて人力で施工した。
 
全国を調査した資料によると、この形式の井戸は関東の武蔵野台地に最も多く見られ、7カ所が確認されている。他は伊豆七島の新島、式根島、八丈島に1カ所ずつ。関東以外では、徳島県徳島市の寺院の境内に、「庭園の池」として掘られたものが1カ所ある。

平安か、鎌倉か、江戸か造られた時期の謎

武蔵野台地に残るまいまいず井戸のうち、東京西部のJR青梅線羽村駅のすぐそばにある「五ノ神まいまいず井戸」を訪れた。五ノ神はこのあたりの地名で、熊野五社大権現を祀った五ノ神社に由来する。井戸は、この神社の境内にある。

大きさは地表面の直径が約20m、すり鉢の底までの深さが約5.3m、踊り場状になったすり鉢の底の直径は約3m。その中心に内径約1.2m、深さ約6.7mの円筒状の井戸がある。

筒井戸の内壁は、丸石の石垣になっている。昭和の改修工事のとき、井戸の底に松の丸太を五角形に組んで基礎とし、その上に石積みをしていることが確認された。このことから、筒井戸は踊り場から掘り下げたのではなく、最初から筒井戸の底、つまり地上から12mの深さまですり鉢状に掘り、そこに基礎を築いて石垣を組み上げていったと考えられている。狭い場所で丸石を崩れないように積み上げるには、高度な技術が必要だ。

このまいまいず井戸は、いつ掘られたものかはっきりしない。地元の言い伝えでは、平安時代初期の大同だいどう年間(806〜810年)に造られたとも言われる。

また、鎌倉時代という説もある。その根拠は、江戸時代半ばの1741年に井戸浚いが行われたとき、井戸の底から板碑(石版の墓標)が24、5本出てきて、最も古いものは「建永」と記されていたという古文書が残っているからだ。建永年間は1206〜7年で鎌倉時代初期なので、井戸の創建はその頃だろうというわけだ。しかし、建永の板碑を後世の井戸建設の際に埋めた可能性もある。

さらに、「いやいや、この井戸はもっと新しい。江戸時代のものだ」という説もある。史料にある1649年時点の五ノ神村のわずかな石高から考えて、それ以前に井戸建設の費用を賄うのはとうてい無理だった、という推測だ。半世紀後の1703年には石高が10倍になっていることから、この間に村の人口が急増し、共同井戸を設けたのではないか、という。

 

▲五ノ神まいまいず井戸の全景。螺旋状の通路を降りていくと、少しずつ見える景色が変わって楽しい。
筒井戸は石垣になっており、周囲の地山から湧き出す水を濾過するために、砂利が裏込めしてある。
 

「まいまいず」はカタツムリの方言か

まいまいず井戸を巡る謎は他にもある。「まいまいず」の「ず」だ。冒頭に書いたように、マイマイはカタツムリのことだが、そこになぜ「ず」が付いているのだろう。

まいまいず井戸というのは総称で、五ノ神の井戸も元は五ノ神社の旧称である熊野社にちなみ「熊野井戸」という名称だった。それがいつしか、「まいまいず井戸」と呼ばれるようになったらしい。武蔵野台地や伊豆諸島の他の井戸も、まいまいには「ず」が付いている。ただし、四国徳島の井戸は「まいまい井戸」で、「ず」は付いていない。

まいまいずは多摩地方の方言、と書いた資料もあったが、どうだろう。復元したまいまいず井戸を展示している府中市郷土の森博物館に聞いてみたところ、「『ず』は不要、という意見は多くあるが、慣用的にまいまいず井戸と呼ばれているので、そう表示している」との回答をいただいた。謎は深まるばかりだ。

いずれにしても、まいまいず井戸が長い間、村の人たちに大切に使われ続けてきた事実は間違いない。五ノ神のまいまいず井戸は、1960年に町営水道ができるまで、少なくとも250年以上現役だった。井戸底に板碑を埋めたのも、きれいな水が得られることを祈る意味があると考えられている。螺旋状の小道を眺めていると、水を汲んだ桶を大事に抱えてゆっくりと坂を登る昔の人たちの姿が目に浮かんだ。

 ▲五ノ神社の境内に立つ碑。
 
 ▲すり鉢の上部にも石垣が積んである。創建時の石は、段丘を降りた多摩川から運んだという。
 
 
■アクセス
JR青梅線羽村駅から徒歩2分。五ノ神社の境内にある。
 

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