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連載

連載
2019年6月号 No.509

かわいい土木 “元祖・東京の水がめ”の美しきシンボル

多摩湖の通称で知られる村山貯水池は、明治時代に東京に近代水道ができて以降、最初につくられた水道ダムだ。湖の景観を引き立てるドーム屋根の取水塔や、導水路建設のために敷設された軽便鉄道の跡が、東京の都市化と水道拡張の歴史を伝えている。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP   社刊、共著)


平成から令和へ変わる10連休のある日、東京郊外の村山貯水池(多摩湖)を訪れた。広々としたダムの上から、富士山がくっきりと見える。お目当ては、大正期に建てられたネオ・ルネッサンス様式の取水塔だ。

ダムの上を南の端まで歩いていくと、ドーム屋根の西洋館風の塔が2基、湖から頭を出しているのが見えた。中世ヨーロッパの古城のような雰囲気でドボかわいい。第一、第二の取水塔のうち、第一取水塔は村山貯水池の建設にあわせて1925年(大正14年)につくられたもの。第二取水塔はその後の水需要の増加を受けて、1973年(昭和48年)に同じデザインでつくられたものだ。

取水塔の役割は、貯水池から必要な流量を放流すること。水面から顔を出しているのは塔の一部分で、全体の高さは27.1mもある。内部は中空で、壁面に高さの異なるいくつかの取水口が開けられている。貯水量の増減によって湖の水深が変化しても取水できるしくみだ。

▲村山貯水池の東端に位置する村山下ダム。土を盛って突き固めた「アースダム」だ。

急増する水需要をまかなう東京初の近代水道ダム

村山貯水池は、東京の近代水道システムが形成される過程で、最初につくられたダムだ。「近代水道」とは、沈でん・ろ過設備をもつ浄水場を備え、水を密閉された鉄管で圧送する水道システムを指す。

東京にはすでに江戸時代から、玉川上水を中心とする優れた水道ネットワークがあった。多摩川上流で取水した水を玉川上水へ流し、江戸城の外濠から神田上水などを通して江戸市中の井戸へ導くものだ。ちなみに、その多摩川の取水場所が、この連載の第2回で紹介した「羽村取水堰」だ。
https://www.shinko-web.jp/series/328/

しかし、明治期になるとこの水道は水質の汚染が問題になり、より安全な飲料水を供給できる近代水道へ切り替えられることになった。1911年(明治44年)に完成したのが、羽村取水堰で取水した水を西新宿に新設した淀橋浄水場へ導き、沈でん・ろ過して配水するしくみだ。
ところが、明治に始まった東京の都市化の勢いはすさまじく、水需要はうなぎのぼり。川から直接取水する方法では水量が変動するうえ、浄水場の能力にも限界があった。そこで、水道拡張計画によって新たに貯水池を設けることになった。

計画では、狭山丘陵の谷間に堰堤えんてい(ダム)を築き、水を貯めておくことで、安定的な水供給を図る。貯水池の自然沈でんによって水質の向上も期待できる。貯水池建設と同時に、武蔵野市に境浄水場、世田谷区に和田堀給水場を新設し、貯水池から取水した水を送ることになった。
1914年から18年の第一次世界大戦、23年の関東大震災の影響を受けながら、村山貯水池は1927年(昭和2年)に完成。“元祖・東京の水がめ”が誕生した。

▲タイル張りの外壁やドーム屋根、アーチ型の窓などが印象的な村山下貯水池第一取水塔。入り口の上には明治期に誕生した東京都の紋章がついている。管理用のプラットトラス橋の造形も美しい。奥には第二取水塔がある。

ミニ蒸気機関車が引くトロッコ列車で資材を運搬

村山貯水池の工事で大活躍したのが、工事の資材を運ぶために敷設した軽便鉄道とトロッコ列車だった。
364万㎡に及ぶ広大な敷地に、30万tの土を盛ってダムを築く。現代のような建設重機はなく、ツルハシやシャベルに頼る工事だ。現地で労働力を確保するため、農作業の繁忙期・閑期を考慮して施工計画を組み立てたという。
軽便鉄道のルートは、貯水池の上流側と下流側の2カ所につくられた。
まず1920年、下流側に川越線(現在の西武線)東村山駅から、貯水池の中間にある上堰堤までの通称「東京市軽便鉄道」が開通。翌21年には、上流側に羽村取水堰から上貯水池までの「羽村村山導水管敷設工事軌道」が敷設された。
下流側の軽便鉄道は、村山貯水池の完成とともに撤去。上流側はいったん廃止されたものの、その後の山口貯水池(狭山湖)の工事の際に「羽村山口軽便鉄道」として復活し、再利用された。
廃線となった上流側の軌道跡は現在、遊歩道や野山北公園自転車道として整備されている。道の下に羽村から村山貯水池へ続く現役の導水管が埋まっている水道道路だ。特に、自転車道には横田トンネルなど5つの小さなトンネルが続いており、面白い。
令和の今、私たちは蛇口をひねれば出てくる水を当たり前のように飲んでいる。しかし、村山・山口貯水池の後も、東京は戦後復興から高度経済成長を経て昭和、平成と発展に伴う水不足に悩まされ、水道の拡張を繰り返してきた。小河内ダムを建設して奥多摩湖をつくり、さらには利根川にも水源を求めた。東村山、金町、三郷などの浄水場も建設された。
村山貯水池の取水塔や軽便鉄道跡のトンネルには、あたかもビッグバン後の宇宙のように急激に膨張した東京の面影が投影されている。

▲貯水池の水位が上がったときに放水するための余水吐よすいばき。玉石張りが美しい。

▲余水吐きからの放水の勢いを弱める減勢工げんぜいこう。「十二段の滝」と呼ばれている。

▲軽便鉄道の廃線跡が自転車道になっている。ドボかわいい小さなトンネルが続く。

■アクセス
村山下貯水池第一取水塔へは西武多摩湖線西武遊園地駅または武蔵大和駅から徒歩5、6分。
 

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