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連載

連載
2019年4月号 No.507

かわいい土木 裏木戸から「雁木」を下りれば、そこは川

市内を6本の川が流れる水の都・広島。古くから舟運が発達し、堤防には船着き場へアクセスする階段、「雁木」がつくられた。京橋川の右岸には、個人の家の裏木戸からつながっていたと見られる雁木が今も数多く残っている。すでに家はないものの、雁木から川面を眺めると、かつてこのまちに息づいていた「川と共にある暮らし」が見えてくる。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP   社刊、共著)


階段状の構造物のことを「雁木」と呼ぶ。渡り鳥のガン(雁)の群れが斜めのジグザグになって飛ぶ様子に由来しているという。新潟などに見られる雪よけの庇も「雁木」というが、今回紹介する雁木は、船着き場の護岸に設けられた階段のことだ。

▲京橋川右岸の雁木の一例。向かって左側は石同士が密着しているのに対し、右側は隙間が広いなどの違いがある。

住宅から川へ直接つながる“プライベート雁木”

江戸時代に舟運が盛んになると、各地に雁木が設けられた。なかでも、雁木の宝庫とも言えるのが水の都・広島だ。広島を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」でも、ヒロインの「すずさん」が雁木を使って小舟を乗り降りするシーンが描かれている。

広島は、太田川の扇状地にできたまちで、地元では本川と呼ばれている太田川をはじめ、その分流である京橋川、元安川、天満川、猿猴川、治水のためにつくられた太田川放水路と、6本の河川が市の中心部を流れている。

雁木の最大の特長は、潮の干満に柔軟に対応できることだ。水面に向かってせり出した階段ならば、水位が高くても低くても船を着岸させられる。瀬戸内海に面した広島湾は干満差が大きく、そこにつながる河川も、水位が最大で4mほど変化する。川が多く、河川交通が物流の主軸であった広島において、雁木はなくてはならないものだった。

現在でも広島市内には、新旧あわせて約300カ所もの雁木が残っていると言われる。当初は文字どおり木でつくられていたと見られるが、戦国武将の毛利輝元によって城下町の建設と築堤が始まった16世紀末以降は石造、現代のものは多くがコンクリートで造られている。

全国に設けられた雁木の多くは、船の荷揚げや荷降ろしのための公共施設で、規模も大きなものだった。だが、広島市内にはそうした公共の雁木のほかに、川に面した商家が家ごとに所有するごく小規模な雁木が数多く存在した。「プライベート雁木」、あるいは「マイ雁木」とでも呼ぶべきドボかわいい構造物だ。

「水の都・広島」と「被爆地ヒロシマ」の両面を知る

広島駅の近くを流れる京橋川の右岸には、明治から大正にかけて造られたとみられる小さな雁木が20mほどの間隔で、約30カ所も残っている。2007年には、全国最大規模の河川舟運用雁木群として、土木学会選奨土木遺産に登録された。

▲対岸から京橋川右岸を見る。20m ほどの間隔で小さな雁木が並んでいる。それぞれの雁木の上には1軒ずつ家が建っていたと思われるが、今は遊歩道が整備されている。

京橋川に架る栄橋から稲荷橋まで、右岸側を南へ向かって歩いてみた。一帯は江戸時代には武家地だった場所で、明治以降は商家が立ち並んでいたとされる。今では土手の上は遊歩道になっており、そこから川へ向けて雁木が延びている。二人がすれ違うのがやっとの狭い階段だ。

▲雁木を下りると目の前に水面がある。

ちょうど干潮の時間帯で、雁木の先には干潟が顔を覗かせていた。ぬかるみに気をつけながら、干潟伝いに隣の雁木まで歩き、土手に上る。今度は土手を通ってさらに隣の雁木へ。干潟へ下りて歩いて上り、土手を歩いてまた下りる。楽しい。雁木は一つひとつ違っていて、天井がついていたり、錆びた木戸の蝶番や船を係留する鉄の輪が残っていたりする。

石積みの方法や表面の加工がまちまちなのは、公共工事として一斉に整備されたのではなく、住宅の一部として個人で普請したからだろう。勝手口からトントントンと雁木を下りて、船で運ばれてきた生活物資を受け取る。川で洗濯をしたり、舟で出かけたり、ということもあったのかもしれない。雁木を通して、戦前までこのまちに息づいていた「川と共にある暮らし」が見えてくる。

▲京橋川は干満差が大きく、干潮時には干潟が現れる。

干潟を歩いていると、石が赤茶けていたり、表面が剥がれていたりする箇所があった。地元のNPO「雁木組」がホームページで公開している調査報告書によれば、これは「石が長時間熱に曝されたために酸化鉄に変化し(略)、熱により脆くなった表面が、水面の温度変化を受けて剥離したものと考えられる」という。この辺りは、原子爆弾の爆心地から1.5kmほどしか離れていない。雁木の石の変質はこのときのものなのだろうか。さらなる調査が待たれるところだ。

人々が川と暮らしていた「水の都・広島」と、平和へのメッセージを発信し続ける「被爆地ヒロシマ」。京橋川の雁木群はその両方を見守ってきたのである。

▲長時間熱に曝されたために赤茶け、表面が剥離した箇所もあった。

■アクセス

JR 広島駅から栄橋まで徒歩5~6 分。稲荷橋へは路面電車の稲荷町停留所から2 分ほど。

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