かわいい土木

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2019年3月号 No.506

かわいい土木 山村の生活に寄り添う水軍ゆかりの屋根付き橋

重要文化財の芝居小屋「内子座」や、木蝋(もくろう)生産で栄えた豪商の町家が並ぶ「八日市護国」で知られる愛媛県の内子町。町内には、人々の素朴な信仰と暮らしを見守り続けるドボかわいい屋根付き橋があった。生活橋で屋根の付いたものは珍しい。そのルーツには、瀬戸内海を股にかけた「河野水軍」の面影が色濃く見える。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP 社刊、共著)


内子の市街地を抜け、国道243号を山に向かって車で進むとほどなく、切妻屋根をかぶった小さな木橋が見えてくる。麓(ふもと)川に架かる「田丸橋」だ。
背景の山並み、緩やかに蛇行する川筋、点在する家々。石積みの農道の先に、両足を踏ん張るようにして屋根付き橋が川を跨いでいる。これぞ日本の山村の原風景、といった趣だ。

田丸橋の遠景。地元の保存会の人たちによって大切に管理され、いったんはトタンに改修された屋根も、元の杉皮葺きに戻されている。全長14.08m、幅2.09m。

倉庫や集いの場としても使われる生活橋

この橋が架け替えによって今の姿になったのは、1944年のこと。土橋であった先代の田丸橋が前年の洪水で流されてしまい、改修新設された。下流にあった「樋の口橋」が流失を免れたのを参考に、地元の大工が同じ形式の屋根付き橋として新たに橋を建設したという。
斜めになった橋脚が、上路アーチ橋のように橋台に突っ張って桁を支えるこの構造は「方丈式」と呼ばれる。橋脚が川の中にないので、洪水時に流木などが引っかかって橋が崩壊する心配が少ない。また、屋根を掛けることで橋の本体が雨や雪から守られ、耐久性が格段に上がる。

構造は「方丈式」と呼ばれるラーメン構造の一種。斜めになった左右2組の橋脚で支える。

桁に立てた柱と梁で屋根を支えている。

屋根を支える柱の基部を横材と斜材で補強している。

田丸橋はもともと地元の人たちが川を渡るための「生活橋」であったが、屋根が付いてからは、単なる通路として以上の機能を生んだ。炭俵や農業資材を一時的に保管する倉庫として役に立ったし、村人たちが農作業の合い間に休憩したり、集まって話し合ったりする集会所としても使われるようになったのだ。
麓川の流域には昔、少なくとも4つの屋根付き橋があったとされる。これらの橋は今では屋根のないコンクリート橋に架け替えられているものの、屋根付きの生活橋がこれほどたくさんあるのは全国的にも極めて珍しい。
しかも、内子町には平成に入ってから、住民の希望で屋根付き橋として再建された橋が3つある。このことからも、屋根付き橋が地元の人々にとってどれだけ身近な存在であったかが分かる。
この地域に屋根付き橋が広まる基になったと目されるのが、麓川の上流に位置する「弓削神社の太鼓橋」だ。

弓削神社の太鼓橋。奥に拝殿があり、参道の一部になっている。

水軍の将、河野一族が開いた弓削神社の太鼓橋

弓削神社は、戦国時代に瀬戸内海を舞台に活躍した「河野水軍」で知られる河野一族によって、室町時代の1396年に創建された。河野氏がこの地の城を去る際に、神社を自らの城に見立て、周りに池を築いて濠とし、中央に橋を架けて神を祀ったと伝わる。現在の太鼓橋は1951年につくられたものだが、神社の創建時から橋に屋根が付いていたとしたら、日本の屋根付き橋の歴史の中でも相当に古い。
研究者の調査によれば、現存する屋根付き橋の遺構として最も古いのは広島の厳島神社の回廊橋で、1287年以前に架けられたとされる。また、大分の宇佐神宮にある呉橋(くれはし)も1301年以前からあったと言われている。
興味深いのは、厳島神社も宇佐神宮も、ともに瀬戸内海に面していることだ。あくまで想像に過ぎないが、水軍を指揮した河野氏が、これらの神社の屋根付き橋の存在を知っており、それを自ら創建した弓削神社に採用したとしても、それほど違和感はない。
ただし、厳島神社や宇佐神宮の屋根付き橋と、弓削神社の太鼓橋とでは、様相がまったく異なる。前者が朱塗りの柱や白壁、唐破風などを有する壮麗な意匠であるのに対し、後者は壁も破風もなく無垢の柱梁で構成された素朴な橋だ。
日本では、古い屋根付き橋は神社や禅宗寺院の境内に架けられているものが多い。特に神社の場合、「屋根の付いた橋」は特別な意味を持っていたとされる。屋根付き橋のある神社はいずれも格式が高く、祭事などの特別な日以外、渡ることが許されない橋も少なくない。例えば、宇佐神宮は全国の八幡宮の総本山であり、呉橋は10年に一度の勅使祭のときのみ開放される。
一方、弓削神社の太鼓橋は、拝殿への参道にあたり、今も氏子たちが「五穀豊穣、家内安全」を祈念して日参を続けている。おそらく創建時からずっと、この地の人々のごく身近にある神社であり、橋であったことだろう。そこには、去っていく領主が領民を思う心と、領民が領主を慕い懐かしく思う気持ちも受け継がれているのではないだろうか。
この地において、屋根付き橋は海の神への信仰とともに、そうした故事の象徴なのだ。それが、生活橋にも屋根を掛ける風土を育んだ――。弓削神社の太鼓橋と田丸橋の佇まいを眺めていると、そんなふうに思えてならなかった。


アクセス

JR内子駅から田丸橋まで車で約10分。そこから弓削神社の太鼓橋までは約20分。内子へは松山駅から特急で30分弱。

 

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