連載

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2018年10月号 No.502

かわいい土木 開拓史に刻まれた湿原の「開かずの水門」

タンチョウの生息地として知られる北海道の釧路湿原。大正末から昭和初期にかけて、湿原を蛇行する釧路川の洪水から市街地を守るために、大規模な治水工事が実施された。新水路との分岐点に、一度も門扉を上げることなく役割を終えた木造上屋付きの水門が今も残っている。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP 社刊、共著)


右も左も、見渡す限り草原と低木が広がっている。ここは日本最大の湿原として名高い北海道・釧路湿原の東端だ。
道路から、湿原の手前に小さな木造校舎のような建物が浮かんで見える。近づいてみると、鉄筋コンクリート造の水門の上屋だった。

正面から見た岩保木水門。木造の上屋は何度か補修され、趣のある姿を保っている。中には門扉を上下させるための手動巻き上げ機が4基格納されている。

2枚の門扉を支える3本の樋柱のうち、中央の柱に毛筆体で「昭和六年八月竣功 岩保木水門」と書かれている。なんだか「昭和小学校六年八組 岩保木水門」と書かれた小学生の名札みたいでドボかわいい。「岩保木」は「いわぼっき」と読む。アイヌ語で「山の下」の意味だという。
土木学会の所蔵する戦前の資料に、建設中の写真があった。水門の上部はまだむき出しで、門扉を上下させる手動巻き上げ機が合計4基設置されている。校舎風の上屋は、これらの機械を保護すると同時に、水門の管理者が2枚の扉の上を行き来して操作するためのものだ。
ところが、じつはこの水門、完成してから一度も開閉されたことがない、という。いったいどうしたことだろう。

横顔は、ツリーハウス風のプロポーション。階段と手すりがかわいい。

新水路と鉄道の登場で通す船がなくなった

屈斜路湖を源に釧路湿原を蛇行し、釧路市内を通って太平洋へ注ぐ釧路川。岩保木水門は、釧路川が人工河川である新釧路川と分岐する地点にある。
古来、アイヌ社会では釧路川を内陸と海を結ぶ交通路として利用していた。明治の開拓使時代に流域の開発が進むと、舟運はいっそう盛んになった。しかし、生活や経済活動に欠かせない釧路川も、大雨になると姿が一変。度重なる洪水は人々を苦しめた。
1920年(大正9年)、湿原の下流域にあたる釧路市街地が未曾有の大洪水に襲われたのを受け、大規模な治水工事が計画された。釧路川を岩保木地点で分流し、延長11kmの新水路を掘削。洪水時には旧水路を水門で遮断し、全流量を新水路へ流して市街地を守る。一方で平時は水門を開けて、木材の流送や舟運に役立てるはずだった。
しかし、1930年10月に新水路が完成すると、旧水路は水位が下がり、船の航行が困難になる。翌31年8月に水門が竣工した頃には、上流からの物資は新水路を通って釧路港で船に積み込まれるようになっていた。また同年には輸送の主力となるJR釧網本線も開通した。
こうして旧水路に船を通す必要がなくなり、釧路港への土砂流入を防ぐために、水門は閉鎖したままとなった。その後、1985年には老朽化に伴い、近くに新岩保木水門が建設され、旧水門は完全に役割を終えた。

1985年に完成した新岩保木水門。無人で遠隔制御しているという。

最先端の治水工事で釧路市の発展に寄与

岩保木水門で分岐した釧路川は、新水路が「新釧路川」、旧水路は従来どおり「釧路川」と呼ばれている。釧路市は、釧路川の河口に発展したまちだ。今では上流や新釧路川と切り離されているものの、観光名所・幣舞橋(ぬさまいばし)の下を流れる釧路川は、相変わらず市民に親しまれている。
岩保木と太平洋を一直線に結ぶ新釧路川は、釧路川の河口から2kmほど西側で海へ注ぐ。その工事では国が、当時最新鋭だった掘削機「エキスカベーター」を導入して泥炭湿地の掘削を実施。また、コンクリート護岸工法を確立して、全国の先駆けとなった。
一連の治水事業が完了して以降、釧路市街地では浸水被害がほとんど発生していない。地域の発展に大きく寄与したとして、新釧路川は2014年度に土木学会選奨土木遺産に認定されている。一方、岩保木水門は、滔々と流れる釧路川と雄大な釧路湿原を背景として、夕日の絶景ポイントに華を添える。湿原の開拓と治水の歴史を伝える貴重な遺構だ。

水門の前に広がる新釧路川と釧路湿原。

野生のタンチョウ。子育てシーズンで警戒心の強まる夏に姿を現すのは珍しい。


アクセス

釧路市内から車で北上して20〜30分。電車の場合は釧網本線釧路湿原駅から2kmほどだが、夏季にしか停車しない。

 

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