連載

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2018年7・8月号 No.500

かわいい土木 水争いを丸く収める日本生まれの分水装置

今回は、満を持して「円筒分水」をご紹介する。円筒の中心に導水し、そこから外縁を越流した水をいくつかに仕切った堀へと分水する仕組みだ。「円」の特性を巧みに利用したこのユニークな装置は、日本人が発明したもの。「水争い」を丸く収める秘策として、昭和期に全国へ普及した。川崎の二ヶ領用水には、今もドボかわいい円筒分水が、住宅に囲まれて残っている。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP 社刊、共著)


「ライバル(rival)」という言葉の語源を遡ると、「川(river)」を意味するラテン語に行き着く。古今東西、私たちは水を巡って争ってきた。川の水を公平に分けることは、人類の悲願だったと言える。
特に、灌漑用水の確保が死活問題だった瑞穂の国・日本では古来、川の上流域と下流域で水を取り合う「水騒動」が各地で繰り返されてきた。
大正から昭和にかけて、この問題を解決する画期的な装置が発明され、全国に普及した。それが、「円」という形の特性を生かし、水を正確な比率で分けることのできる「円筒分水」だ。
その仕組みは、農商務省の技師だった可知貫一によって発明され、1914年(大正3年)に岐阜県小泉村で第1号が完成した。新田開発にあたり、水を公平に分配するのが目的だった。
だがそれ以降、「公平に」水を分ける機能が水争いの頻発地域で熱望され、各地へ広まった。神奈川県川崎市に位置する「久地(くじ)円筒分水」もその一つ。1941年(昭和16年)につくられた。

住宅街にぽつりと残る久地円筒分水。どこかメルヘンチックな風景だ。今は、周辺の人々の憩いの場として余生を送っている。

水の取り合いが高じて打ちこわし騒動が勃発

久地は、多摩川の2カ所から取水した「二ヶ領用水」が合流する地点だ。江戸時代にはここに、用水を4筋の堀に分ける「分量樋」が設けられていた。木製の水門によって、下流の村々の水田面積に応じて引水するように工夫されたものだ。明治期に描かれた堀の絵図には、堰ごとの取水時間まで記されており、水がいかに厳格に管理されていたか分かる。
しかし、日照りが続き多摩川の水が減ると用水の取水量が足りなくなり、全域に行き渡らなくなることもあった。すると当然、上流と下流で水の取り合いになる。自分たちの村へ水を流すために、他の村へ通じる水門を勝手に閉じてしまい、諍いになることも少なくなかった。
中でも有名なのが、「溝口村水騒動」だ。1821年、渇水による水不足が長く続き、上流と下流の村が激しく衝突。ついには下流の村人たちが、上流の溝口村の名主の家を打ちこわす騒動に発展したのだ。事の顛末を記した文書が近隣の村にも多く残されているという。
当時の分量樋は、水路の幅をいくつかに分けて壁で仕切る「背割り」と呼ばれる分水方法だった。この方法ではそもそも、決まった水量を正確に分けるのは技術的に難しい。渇水期に限らず、水路の勾配や分割した流路の幅によって流速が変わり、流速の早い部分ほど水が多く流れるからだ。
二ヶ領用水の水を利用していた60に及ぶ村々は、公平な分水を切望していたに違いない。

サイフォンで噴き上がった水を円周の比率で分ける

久地の分量樋を舞台とする長い諍いの歴史に終止符を打ったのが、久地円筒分水の登場だ。
施設は、直径8mと18mの鉄筋コンクリート造の円筒が入れ子になった二重構造。その中心から噴き上がった水が、内側の円筒下部の孔を通過した後、外側の円筒上部を越流し、4つの堀へ導かれる。外側円筒の円周をそれぞれの灌漑面積に応じた比率の長さで仕切ることで、流量の変化にかかわらず、常に一定の比率で分水される仕組みだ。
導水は、二ヶ領用水の水をコンクリート管でいったん地下に潜らせ、サイフォン原理によって自然に噴出させる。内側の円筒は、水面の波立ちを収め、より安定的に越流させる役割を持つ。

二ヶ領用水の水は平瀬川の下を通ってサイフォンの原理で円筒分水の中心から噴出する仕組み。

この方式なら、どれだけの量の水がどのように分配されているかが一目瞭然なうえ、水門や弁などの可動部がないので不正に流れを変更することもできない。何百年も続いたこの地の水争いが、一挙に丸く収まったのだ。日本が生んだこの優れた仕組みは、戦後、GHQの技術者によってアメリカにも紹介された。
私は円形の土木構造物に、なぜだか非常に心惹かれる。久地円筒分水の穏やかで力強い曲線のフォルムと、外縁を滑らかに流れ落ちる水を眺めているうちに、その理由が少し分かった気がした。

外側の円筒の縁を越流した水が堀へと流れ落ちる。コンクリートの素朴な曲面が味わい深い。

円筒分水から用水沿いに少し歩くと、分量樋があった場所に案内板が建っていた。

川崎市市民ミュージアムに分量樋の模型が展示されている。左側の上流から流れてきた水を水門によって4つに分ける「背割り」だ。


アクセス

JR南武線津田山駅から徒歩約12分。久地駅からバスの場合は新平瀬橋で下車し、徒歩2分程度。

 

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