かわいい土木
関東大震災を耐えた元祖ホフマン窯

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木技術者になるには』(ぺりかん社)、本連載をまとめた『かわいい土木 見つけ旅』(技術評論社)
栃木県の渡良瀬遊水地の隣に、巨大なレンガの煙突が見える。明治期に建設された産業遺産「旧下野煉化製造会社煉瓦窯」だ。フォトジェニックなその外観は、当時画期的な新技術であった「ホフマン窯」の原型を今に伝えている。
中心から天に向かってすっと伸びるレンガの煙突。小さなアーチの入口が並んだ“寸詰まり”な円錐台のレンガの躯体。そこに傘をさしかけたような黒い屋根。円形構造物フェチの私が、一度はこの目で見てみたい!と憧れていたのが今回の主役、「ホフマン窯」だ。
輪唱のようにレンガを
焼き続けるホフマン窯
ホフマン窯はレンガを効率的に焼成するために開発された窯で、特許を取得したドイツの技術者フリードリヒ・ホフマンの名を取ってこう呼ばれる。どのように効率化したかというと、「レンガが冷めるのを待つ時間」と「窯を再び温める時間」をゼロにしたのである。
レンガは明治になって西欧からもたらされた建設材料だ。当初、日本では伝統的なやきもの窯でレンガを焼いていたため、一回焼くごとに窯を冷まし、焼き上がったレンガを取り出して次に焼くものを入れ、また薪をくべる必要があった。これでは熱効率が悪く、大量生産には向かない。
これに対しホフマン窯は、複数の焼成室をドーナツ状に配置した連続式の窯だ。最初に火を入れた部屋でレンガを焼いている間、その余熱で隣室に積んだ焼成前のレンガを温める。同様に、時計回りに隣の室へと火種を移していく。その間に先の部屋で焼けたレンガが冷めたら取り出し、次に焼く分を仕込んでおく。こうすれば火種が2周目に入ったときも、すぐに焼成できる。これを繰り返すことで、窯全体の熱を無駄にすることなく、絶え間なく連続して焼き続けられるわけだ。
まるで、永遠に終わらない輪唱(静かな湖畔でカッコウが鳴く、あれだ)のよう。ホフマン窯が「ホフマン式輪窯」と呼ばれるのも納得だ。
▲窯の上の小屋組みは、木骨トラスが現しになっている。煙突を囲む複雑な構造が美しい。
銀座大火からの復興が
レンガ需要に火を着けた
ところで、読者の皆さんは「銀座大火」をご存じだろうか。1872(明治5)年、東京の銀座・築地一帯を焼き尽くした火事だ。復興にあたって政府は火災に強い「不燃都市」を目指し、道路の拡幅やレンガ造建築の建設を推進。その「銀座煉瓦街」の設計者に任命されたのが、お雇い外国人だったイギリス人技師トーマス・ジェームズ・ウォートルスだ。
レンガ造建築の街並みをつくるには、大量のレンガが必要。そこでウォートルスが日本に導入したのが、レンガを効率よく大量生産できる当時の先端技術、ホフマン窯だった。東京・小菅にある現在の東京拘置所の敷地に3基のホフマン窯を築き、フル回転でレンガを製造。火事の翌年には、ロンドンさながら洋風2階建てのレンガの街並みが完成したというから、すごいスピードだ。
急速な西洋化と近代化の波に乗る日本では、その後も政府の殖産興業策によって鉄道、港湾、水道、そして洋風の官公庁や工場などがいっせいに整備され、レンガの需要は高まり続けた。そんななかで1888(明治21)年に設立されたのが「下野煉化製造会社」だった。今回私が訪れたホフマン窯は、この会社が建設した2基のうちの一つだ。
同社が工場を築いた栃木県野木町は、レンガ製造の適地だ。その理由は第一に、すぐ脇を流れる渡良瀬川や思川の流域から、レンガの原料となる良質な粘土と砂が大量に採取できたこと。第二に、できた製品を一大消費地である東京や関東近郊へ運ぶための「水運」に恵まれていたことだ。当時は鉄道網が整備途上であり、重量物であるレンガを一度に大量に輸送するには船による水上輸送が極めて効率的だった。
関東大震災の復興で
コンクリートが主役に
同社のレンガ生産量は最盛期の1896(明治29)年には619万5,000個に上った。東京駅の一部にも使われたという。だが、双子だったホフマン窯のうちの1基は、大正時代の関東大震災で倒壊。さらに、昭和時代に入ると主要建材がコンクリートとなり、レンガの需要は急速に落ち込んだ。こうして、大震災を耐えた下野煉化製造のホフマン窯は、1971(昭和46)年にその役目を終えて操業を停止した。
かつては日本全国に50基以上存在したというホフマン窯だが、今では4基が残るのみ。ほぼ完全な形で残るのは唯一、「野木町煉瓦窯」の通称で親しまれるこの旧下野煉化製造会社煉瓦窯だけだ。
明治期、ホフマン窯は生産量を増大させるため、円形から次第に直線部の長い楕円形や長方形へと進化していった。だが、造形的に私が最もそそられるのは、やはりホフマン窯の原型である円形だ。烈風のような日本の近代化を健気に支え、大震災にも耐えた姿が愛おしい。
▲野木町煉瓦窯は正確には円形ではなく、16の焼成室がぐるりと環状に連なった「16角形」で、周囲は約100m。中央には高さ約35mの煙突がそびえ立ち、ここから効率的に排煙を行っていた。国の重要文化財で、近代化産業遺産でもある。
▲焼成室ごとにレンガを積み上げ、天井から粉炭を投入して焼成した。
▲天井の上には合計400個の「投炭孔」がある。
●アクセス
JR宇都宮線古河駅から車で約10分
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