サプライチェーン重視時代の建設工事契約のポイント
第1回 標準労務費制度と独占禁止法との関係

弁護士法人匠総合法律事務所
弁護士 秋野 卓生
東京・大阪・名古屋・仙台・福岡に拠点を設ける弁護士法人匠総合法律事務所 代表社員弁護士。
法務省司法試験考査委員(民法)等を務める。
標準労務費制度は、独占禁止法における不公正な取引方法(優越的地位の濫用、不当廉売等)の禁止との関係や、さらに本年1月に施行された中小受託取引適正化法(旧下請法)との関係でどのように整理されるべきものなのでしょうか。
標準労務費制度とは
標準労務費制度は、建設工事の請負契約において、労務費(賃金の原資)を適正に反映した契約価格を設定するための基準を示す制度です。これにより、下請事業者が適正な対価を得られるようにし、賃上げや人材確保を支援する目的があります。
建設業法は、下請保護の役割をもつ独占禁止法(以下「独禁法」)の建設工事請負契約における特別法との位置づけも有しており、注文者(元請を含む)が取引上の地位を利用して、例えば労務費の上昇分を反映しない価格を一方的に押し付けるなどの優越的地位の濫用(独禁法第2条第9項第5号)について建設業における違反を取り締まる規制法(不当に低い請負代金の禁止)としての役割を果たしてきました。
今般の標準労務費制度は、不当に低い請負代金の禁止について、そのうちの労務費相当額に関する目安を付与することとなるものです。今回の改正はさらに受注者側からの意思で標準労務費を下回る価格での請負も禁止されることになりましたが、これは独禁法の規制対象である不当廉売とみなされうるとも考えられ、「独禁法の「不当廉売」規制を建設業法のなかに持ち込む意味もあるのか?」という疑問もわきます。
そこで、まず、独禁法が不当廉売を禁止する趣旨について検討したいと思います。
不当廉売規制の概要
独禁法上の不当廉売とは「正当な理由なく、商品や役務を供給に要する費用を著しく下回る価格で継続的に供給し、他の事業者の事業活動を困難にさせるおそれがある行為」を指し、以下のような観点から公正な市場を阻害するものとして規制されています(独禁法第2条第9項第3号)。
- 1 公正な競争の確保
採算を度外視した極端な安値での販売は、他の事業者(特に中小企業)の市場からの排除を狙う手段となり得ます。これにより、健全な競争が阻害されるおそれがあるため、規制が必要とされます。 - 2 価格競争の健全化
独禁法は、企業が創意工夫により良質で廉価な商品を提供することを奨励していますが、コストを大幅に下回る価格での販売は、不当な競争手段とみなされます。 - 3 消費者利益の長期的保護
一時的に安価な商品が出回ることで消費者は恩恵を受けるように見えますが、競争相手が排除された後に価格が吊り上げられるリスクがあり、長期的には消費者の不利益となる可能性があります。

改正建設業法における
標準労務費制度の趣旨
改正建設業法における標準労務費制度創設の趣旨は、技能労働者の賃金水準の適正化と建設業界の持続可能性の確保にあります。
長年、建設業界では「安すぎる見積もり」や「発注後の値引き交渉」が横行し、その結果として末端の技能者にしわ寄せが及んでいました。これにより、賃金が上がらず、若手の人材確保が困難になっていました。高齢化や担い手不足が深刻化する中、技能者が安心して働ける環境を整備することが急務となり、賃金の原資となる請負金額の中の労務費相当額の確保を図るため、本制度創設に至ったものです。
このように考えると、今回の標準労務費制度は公正な市場の維持を第一義とする独禁法上の不当廉売規制とは趣旨が異なる面があります。むしろ、発注者や元請事業者による優越的地位の濫用規制(独禁法)の特別法の役割をより強固にしたものと考えられます。今回の標準労務費制度は、注文者側からか、受注者側からかを問わず、不当に低い請負代金の判断要素となりうるものとして、労務費相当額の目安を示したものであり、新たに建設業法において、廉売行為について労働者へのしわ寄せ防止を規制する仕組みを導入したということができるでしょう。
労務費の適切な
転嫁の重要性
現在、政府をあげて労働者の賃上げに取り組んでおり、令和5年11月に内閣官房および公正取引委員会は「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」(以下「指針」)を公表しました。指針は、中小企業等が労務費、原材料費、エネルギーコストの上昇分を適切に転嫁できるようにし、賃金引上げの環境を整備することを目的として政府全体で産業界に向け労務費の転嫁を後押ししようとするもので、今回の建設業法改正と同一の流れにあるものと言えます。
公正取引委員会は、独禁法上の「優越的地位の濫用」(独禁法第2条第9項第5号ハ)および下請法上の「買いたたき」(下請法第4条第1項第5号)につき、発注者が労務費、原材料費、エネルギーコスト等のコストの上昇分を取引価格に反映しないことが問題となるとしたうえで、発注者が受注者との間で「十分な協議」を行って取引条件を設定したかどうか等を違反の成否の考慮要素とする旨の解釈を示してきました。このため、いわゆる独禁法・下請法コンプライアンスの観点からは、受発注者間で“十分な協議”を行うこと等が実務上の留意点の一つでしたが、具体的な行動指標までは明らかにされていませんでした。
指針は、コストのうちの「労務費」について、独禁法上の優越的地位の濫用又は下請法上の買いたたきとして問題となるおそれがある行為を留意すべき点として整理するとともに、「発注者として採るべき行動/求められる行動」および「発注者・受注者の双方が採るべき行動/求められる行動」をすべて適切に採っている場合には、「取引条件の設定に当たり取引当事者間で十分に協議が行われたものと考えられ、通常は独禁法及び下請法上の問題は生じないと考えられる」と判断したものです。このような考え方は前述の改正建設業法のみならず、今般の下請法改正(改正後は中小受託取引適正化法)にもつながっています。次回以降は同法と建設業法の関係についても説明します。
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