名建築のつくり方

名建築のつくり方
2026年3月号 No 576

半透明の外装はなぜ生まれた?

A アンサー    1. 入手しやすい材料を使ってコストを安くするため。

「パレスサイドビル」は皇居の北側に立つ複合ビルだ。オフィス部には毎日新聞社などが入る。1999年に「日本の近代建築20選」に選ばれるなど、日本のオフィスビルの中では突出して評価が高い。

設計したのは日建設計工務(現・日建設計)。林昌二が中心になった。設計スタート時、林はまだ35歳。「掛川市庁舎」(1955年)や「三愛ドリームセンター」(1963年)でその名を知られていたが、大型のオフィスビルを設計した経験はなかった。林は後に、条件が厳しすぎて先輩たちが敬遠したようだと振り返っている。

林は、自分と同い年か年下の社員だけで設計チームを構成した。それは、既存の大型オフィスの常識には従わないという覚悟の表れでもあった。

カーテンウオールを使わない

全長150mの直方体のビル2棟が雁行して並び、高さ50mの白い円筒コア2棟が東西の端にそびえる。立面を印象づけるのは、ガラス窓を覆うブリーズ・ソレイユだ。遠目には何かよくわからない細かい金属部材で構成され、半透明にも見える。

半透明の外装といえば、ジャン・ヌーヴェルが設計した「アラブ世界研究所」(1987年、パリ)などをきっかけに、1990年代に世界的な潮流となるデザインだ。それらと比べても見劣りしない繊細なディテール。さらに驚くのは、これが全体の建設費を下げる目的から生まれたということだ。

依頼主から課された工事単価をクリアするため、設計チームは、カーテンウオールを使わないことを決めた。当時、その業界は寡占状態で、コストダウンに応じてもらいにくかった。代替案として考えたのは、1枚もののガラスの上下をスチール板とガスケットで挟んで開口部を構成する方法。当時の最大寸法の2.4m×3.2m、厚さ15mmのガラスを水平方向に並べ、上下に既製品のスチール・パネルを張った。

そして、大きな窓からの直射日光を防ぐため、窓の上にアルミ・ダイキャストの庇をつけた。庇は窓拭き用の足場にもなる。

それだけだとモダニズム建築らしい水平方向を強調したデザインになるところだが、林らはそこに縦の線を加えた。やはりアルミ・ダイキャスト製の漏斗のような竪樋を各階ごとに連続させ、それを3.2m間隔で配置した。それはガラスの外側に表れる押縁おしぶちを目立たなくする意味もあっただろう。結果、皇居の隣地にふさわしい“和”を感じさせるものになった。

着工時点ではセンターコア形式

ブリーズ・ソレイユのほかにも、この建築の特徴的なデザインの多くはコストダウンを理由に生まれている。それらはいちいち「奇跡」と言いたくなるものだが、最大の奇跡は工期の短さかもしれない。

目標とする工期は「27カ月」。設計期間と工事期間を合わせても「33カ月」しかなかった。つまり、設計期間は半年。実は、起工式の日(1964年4月17日)に新聞に掲載された完成予想図には両サイドに円筒のコアがなかった。着工時点では一般的なセンターコア形式だったのだ。

設計チームは、依頼主から求められたオフィスの賃貸面積を達成できないまま着工を迎えた。着工直後に、コアを東西2つに分けると、基準階のレンタブル比を82%に上げられることに気づく。急きょ全面的に設計変更した。

その完成予想図には、ブリーズ・ソレイユもない。これも着工後のアイデアだ。林らは、もともと着工後に考えるつもりだったのかもしれない。構造は鉄骨鉄筋コンクリート造だが、スラブの先端約2mは鉄骨が入っておらず、鉄筋コンクリートだけでつくられている。ここに現場打ちコンクリートの“手仕事”を残しておくことで、空調類を含む窓回りの納まりを調整できるようにしたのだろう。

 

参考文献・資料:
藤岡洋保著「パレスサイド・ビルディング─戦後建築の黄金期を代表するオフィスビル」(『コア東京』2021年6月号)、山梨知彦著『名建築の条件』(日経BP社、2015年)、『新建築』1966年12月号、『林昌二の仕事』(同編集委員会、新建築社、2008年)

 

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