かわいい土木
イングリッシュガーデンを思わせる「ラチス橋」
Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木技術者になるには』(ぺりかん社)、本連載をまとめた『かわいい土木 見つけ旅』(技術評論社)
中国山地の山間の盆地にある小さな町、徳佐。そこに大正時代に架けられた当初の姿を保つ「ラチス橋」がある。JR山口線が走るバリバリの現役だ。イングリッシュガーデンでツルバラなどを絡ませる柵としておなじみのラティスと同様、橋桁が格子状になっているのが特徴。わずかな期間しか建設されなかったラチス橋の秘密とは。
出張で山口県の萩市に泊まった翌日、以前から気になっていた「ラチス橋」に寄ってみることにした。全国に3橋しか現存していないとされるラチス橋の一つ、「徳佐川橋梁」だ。
ラチスとは「格子」の意味で、断面がL字型になった山形鋼を格子状に組んで桁とすることからこう呼ばれる。
そう言えば、ガーデニングで蔓性の植物を絡ませたりする柵をラティスと呼ぶが、あれも格子状だ。20年ぐらい前に一時期、ベランダガーデニングにハマっていた私も使っていた覚えがある。洋風の庭づくりだけでなく、ラチスは橋にしても無骨な感じがなくドボかわいい。
▲徳佐川橋梁の腹板は山形鋼を格子状に組み上げたラチス桁。交点に規則正しく並ぶリベットもドボかわいい
バスで峠を越えて中国山地の盆地へ向かう
徳佐川橋梁は、JR山口線の徳佐駅の近くにある。ちょうど、宿泊した東萩のホテルの前から徳佐駅入口までのバスがあり、本数は少ないものの、運良く乗ることができた。電車だとJR山陰本線で益田駅まで戻って山口線に乗り換えることになり、2時間半近くかかるうえに乗り継ぎもよくない。それがバスなら1時間10分で行ける。
乗り込んだバスは、どんどん山の中へ入っていく。舞う程度だった雪も吹雪になってきた。徳佐は中国山地に囲まれた盆地にあるのだ。終点の徳佐駅入口でバスを降りたのは私一人。というか、途中で乗ってすぐに降りた女性客を除けば、行程中、乗客はずっと私一人だった。
スマートフォンで地図を見ながら駅前から川沿いの道を歩く。7〜8分歩いたがそれらしき橋は見えず、向かいから歩いてきた女性に尋ねることに。「この近くに徳佐川橋梁という橋があると思うのですが」。その人はしばらく考えてから「橋はずっと先まで行かないとないわよ」という。あれこれ説明して「ああ、鉄橋ね。それならすぐそこ、茂みの裏。でも、橋じゃなくて鉄橋よ」と教えてくれた。その方のイメージでは橋といえば道路橋のことで、鉄道橋は“鉄橋”という別カテゴリーらしい。
ともかく、茂みの裏に徳佐川橋梁はあった。赤い格子がドボかわいい、わずか16mの長さのラチス橋だ。この橋の上を山口線の1両編成ワンマン電車が通るさまを写真に撮りたいと思ったものの、次に来る13時台の電車には自分が乗らないといけない。その次の15時台以降の便は雪のため運休で、飛行機の時刻に間に合わなくなってしまう。
▲徳佐川橋梁の全景。ラチスの格子がとても細かく繊細に見える。2012年に土木学会選奨土木遺産に選ばれた
▲JR西日本山口線の徳佐駅。「山陰の小京都」として知られる津和野にも近い
▲山口線のワンマンカー。この車両が徳佐川橋梁を渡る写真を撮りたかった!
苦肉の策で生まれたプレートガーダーの「代用」
冒頭に「ラチス橋は全国に3橋しか現存していない」と書いた。ほかの2橋はいずれもJR山陰本線に架かる竹野川橋梁と田君川橋梁だ。資料によれば、1954年(昭和29年)現在で50連が残存していたというが、全国に50なので、多い方ではないだろう。
というのも、ラチス橋は1918年(大正7年)頃に「プレートガーダー(鈑桁)」の代用として設計されたもので、短い期間にしか作られなかったからだ。
では「代用」とはどういうことか。プレートガーダーとは、鉄板(プレート)を断面がI字形になるように組み立てた桁(ガーダー)を意味する。当時、日本の製鉄業ではまだ、大きな物をつくる設備が整っていなかったうえ、1914年(大正3年)に始まった第一次世界大戦の影響で、大型の鋼板は輸入できなくなっていた。そこで、苦肉の策として細い山形鋼を格子状に組むことで桁を作った、というわけだ。
徳佐川橋梁が架設されたのは、徳佐止まりだった山口線が津和野まで延伸された1922年(大正11年)のこと。沖田川を1連だけのラチスで越える貴重な風景が、100年以上ほとんど変わらず現存していることを愛おしく思った。
●アクセス
JR西日本山口線徳佐駅から徒歩約8分
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