日本経済の動向
民主主義の限界が経済社会にもたらす諸課題
新型コロナウィルス感染症によるパンデミックが起こった後の世界においては、民主主義がいわゆるポピュリズムの台頭などで揺らぎ、さまざまな経済社会の諸問題が引き起こされているといえる。そこで今回は、民主主義の限界が経済社会にもたらす課題ならびに、その対応策などについて考察する。
パンデミック後に市場対国家の力関係は逆転
2020年以降の世界は、パンデミックの発生や地政学的緊張の高まり、自然災害の増加といった、政府の介入と強権的措置が必要とされる状況が顕著な時代となった。こうした中、「国家」と「市場」の力関係は大きく変化した。2000年代から2020年までは、多国籍企業が政府を凌ぐ力を持ち、市場が国家よりも強い存在として君臨する、グローバリゼーションの時代であった。政府は民間企業の活動を邪魔せず、市場メカニズムを通じた「経済的利益」を最大化することが優先された。しかし、パンデミックを境に、市場よりも国家が強い時代が到来した。安全保障、気候変動、人権をはじめとした多様な価値観を包摂した「社会的利益」が重視されるようになり、さまざまな利害を調整する政治の役割が重要になった。こうした変化が、従来の経済優先主義とは異なる、新たな時代を形成している。
しかしながら、民主主義国の現状をみると、ポピュリズムの台頭や、既存の政治体制に対する反発が強まっている。果たして民主主義は多様化する利害を調整できるのだろうか。
有権者の無力感は民主主義の限界と表裏一体
民主主義は、理想的にはすべての市民の意見を反映し、公正な決定を下すシステムとして設計されている。しかし、現実には、民主主義がすべての有権者を満足させることは不可能である。この問題を理解する上で、ノーベル賞を受賞した経済学者ケネス・アローの不可能性定理は、非常に興味深い示唆を与えてくれる。アローの定理は「非独裁性」「独立性」「効率的な資源配分」をすべて満たすような選挙プロセスは存在しないと主張する。たとえば権威主義国では非独裁性が、民主主義国では独立性が犠牲にされると解釈される。民主主義国が独立性を犠牲にするとは、有権者が自分の意見どおりに投票せず、より現実的な選択肢に甘んじて、他人の意見に投票するようなケースをイメージするとわかりやすいだろうか。
これによって、民主主義は本来の目的を果たさず、多くの人々にとって「どうせ政治は変えられない」との無力感につながる。時として民主主義が権威主義的なリーダーを渇望してしまうのは、独立性の無さからくるといえるだろう。こうした民主主義の限界は、いまの経済社会のいくつかの深刻な問題と密接に関係している。
民主主義の限界と関係する経済社会の諸課題
第一は、「財政赤字と政府債務の増加」である。パンデミックを契機に、多くの政府が補助金や経済支援を大量に配布したが、これは人々の政府への依存度を高める副作用を生んだ。独立性が欠如した民主主義では、長期的な財政の健全性よりも、短期的な人気取り政策が優先されがちであり、経済の持続可能性は脅かされる。
第二は、「経済格差の拡大」である。財政出動の増加は、インフレの上昇を引き起こすことが多く、特に低所得者層にとって生活費負担が増大する。一方で、高所得者層は株価や不動産価格の上昇によって資産が増加する傾向がある。所得と富の格差が拡大し、社会の分断が深まる。
第三は、「社会的連帯感の喪失」である。経済格差が拡大すると、市民社会の連帯感が希薄化していく。民主主義が本来持つべき社会的結束が失われると、共同体としての機能は低下する。移民問題は、社会の連帯感をさらに分断させ、この問題を悪化させる。
第四は、「偽情報の脅威」である。パンデミック後の世界では、デジタル社会の普及が急速に進んだ。それは、ビジネスや日常生活に多くの利便性をもたらしたが、一方で、偽情報がソーシャルメディアを通じて広がりやすくなり、社会的分断をさらに深める要因となり得ている。こうした状況下では、偽情報に騙されない健全な市民社会への意識形成がますます重要となってくる。
民主主義の再構築に向けて
これらの課題を乗り越えて民主主義を再構築するためには、まず、政策決定において、短期的な視点だけでなく、長期的な視野を持つことが重要である。これには、所得再分配政策の強化が含まれる。また、情報の透明性を高めて、政府と市民、市民同士の間で信頼を築く取り組みも必要だ。コロナ後の世界で民主主義はその脆弱さを露呈したが、同時にその必要性も再確認された。民主主義の未来を見据えた市民意識と、制度設計の大胆な改革が求められよう。
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