かわいい土木

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2023年2月号 No.545

都心を目指した池上線のトレッスル

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木技術者になるには』(ぺりかん社刊、2022.4発刊)


やぐら状の橋脚の上に橋桁を載せた「トレッスル橋」。“あしながおじさん”的なドボかわいらしさを持つこの形式の橋の名残りが、東急池上線五反田駅の下にある。ビル4階分の超あしながな橋脚の誕生には、東京の郊外鉄道開発の歴史が絡んでいた。

東京の五反田と蒲田を結ぶ東急池上線。駅を出た高架橋が目黒川を越える手前に、ちょっと変わった橋脚があるのをご存知だろうか。遺されているのは2基だけではあるものの、脚立きゃたつを並べた上に桁を乗せたような独特の見た目、これぞ「トレッスル橋」のあかしだ。

遠目には華奢で軽やかな橋脚に見えるが、近づいてみると、架構のダイナミックさに圧倒される。高さはビル4階分もあり、まるで鉄塔のようだ。

▲目黒川の対岸から、池上線五反田駅方向を見る。奥の2基がトレッスル橋脚。
川寄りの橋脚は鉄筋コンクリート造に置き換えられている。

東京都内で見られる
激レアなトレッスル橋脚

トレッスルとは「架台、うま」の意味。トレッスル橋は、末広がりのやぐらのような橋脚で橋桁を支える構造をもつ。19世紀から20世紀初頭のアメリカで、鉄道が谷を渡る箇所によく使われたという。日本では、2010年に廃止となった山陰本線の余部あまるべ鉄橋(一部保存)が有名だ。

しかし、現存する鉄道のトレッスル橋はごくわずか。私が見たことがあるのは、JR青梅線の奥沢橋梁(東京都青梅市)と、この池上線五反田駅だけだ。特に池上線のトレッスル橋は、線路が複線である点でも珍しいという。しかも、橋脚に触れるほど近づけるのだから、たまらない。

▲高架下はラーメン店になっていて、トレッスル橋脚を間近で堪能できる。
ラーメン構造の下にラーメン店とは、ドボク通好み(両者の間に特別な関係はない)。

郊外開発と私鉄競争にもまれ
度重なる計画変更

池上線五反田駅のトレッスル橋が建設されたのは、蒲田〜池上〜五反田間が全線開通した1928年(昭和3年)のこと。背景には、この時代特有の事情があった。

池上線の前身は、1917年(大正6年)に設立した池上電気鉄道だ。当時、鉄道国有化の影響で下火になった地方鉄道の建設促進のために軽便鉄道法が制定され、「第二次私鉄ブーム」がまき起こっていた。

池上電鉄は目黒〜池上〜大森のルートで免許を取得していたが、大森の用地買収が難航。着工地点を蒲田へずらし、目黒〜池上〜蒲田ルートに変更したうえで、まずは蒲田〜池上間を開業した。

ところが、池上電鉄が池上から目黒への延伸を完了する前に、ライバルの目黒蒲田電鉄が、目黒〜蒲田の目蒲めかま線を開業してしまう。同社は、五島慶太が率いる私鉄会社で、東急電鉄の前身の一つ。実業家・渋沢栄一が率いる田園都市会社が販売する郊外の住宅分譲地と、都心を結ぶ鉄道の建設を担っていた。

先を越された池上電鉄は、競合を避けるために起終点を目黒から五反田へ変更。最終的に蒲田〜池上〜五反田のルートでの開業を余儀なくされた。池上本門寺への参拝需要を見込める池上の経由だけは死守したとはいえ、当初計画の大森は蒲田、目黒は五反田へと変わってしまった。

▲青色が目蒲線、ピンク色が池上線。点線は池上電鉄の当初の計画ルート。

郊外鉄道開発時代の
「忘れ形見」として

さて、こうした事情が、トレッスル橋とどう関係するのか。

まず言えるのは、高架橋として設計しなければならなかった理由だ。五反田駅にはすでに山手線が通っており、周辺は道路や住宅が密集していた。このため後発の池上線は、手前の大崎広小路駅〜五反田間の高架化が必須だった。

また当時普及していた、高架下を店舗や住宅とし、賃料収入で鉄道の建設費を補填するスキームとも関係があるのかもしれない。高架下の空間を広く取るには、アーチ構造よりも、柱と梁を長方形に組むラーメン構造の橋が有利だ。

トレッスル橋もラーメンの一種であり、しかもアーチより材料が少なくてすむため、コストが抑えられる。現地は目黒川のすぐ脇に位置するが、トレッスル橋は自重が軽いことから軟弱地盤に強く、耐震性にも優れている。

もう一つ、高架橋にしなければならない決定的な理由があった。

じつは、池上電鉄は全線開通した段階で、需要の拡大を狙い、都心部への延伸を模索していた。現在の京浜急行電鉄が、当時計画していた「青山線」と白金付近で接続する案だ。青山線は品川〜白金〜青山〜千駄ヶ谷のルート。蒲田方面から白金へ延伸するには、五反田で山手線を乗り越えなければならない。

結果的に青山線も池上電鉄の延伸も実現しなかったが、現在の池上線五反田駅が山手線の上空でクロスしているのは、この計画の名残りなのだ。その後、池上電鉄は目黒蒲田電鉄に合併されて東京急行電鉄となり、現在に至る。

東京が郊外へ向けて爆発的に拡張した昭和初期。池上線のトレッスル橋脚は、当時の鉄道開発の忘れ形見なのだ。

▲池上線が山手線などJRの線路をまたぐ部分は、がっちりとした鋼製のラーメン橋。
ここへのアプローチ部分がトレッスル橋で設計された。

 

●アクセス

JR山手線、都営地下鉄浅草線、東急池上線の五反田駅から蒲田方面へ徒歩2〜3分

 
 

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