日本経済の動向

日本経済の動向
2022年9月 No.541

注目高まる「人的資本投資」

岸田首相は「人的資本投資」を成長戦略の中核に据える方針を明らかにした。人口減少が加速する日本にとって、人材への投資によって生産性を高めることは必須であり、GX・DXを進める上でも人材育成が前提となる。「人を育てる」企業でなければ、投資家からも労働者からも選ばれない時代が到来しつつある。そこで今回は、人的資本投資について解説する。

成長戦略の中核に据えられた「人的資本投資」

5月5日、訪問先のロンドンで講演した岸田首相は、「岸田政権の成長戦略の中核に、人的資本への投資を位置付けます」と明言した。

昨年10月に就任した岸田首相は、「未来を切り拓く『新しい資本主義』-成長と分配の好循環-」を、自身の経済政策のスローガンとして打ち出した。市場主義の行き過ぎが格差拡大につながっているとの認識から、分配政策を重視する方向性を示したが、政策の具体的な内容は明らかではなかった。

今般の首相の発言は、人的資本投資の拡充を通じて生産性を引き上げ、分配の原資となる付加価値(企業収益)を確保することを優先する姿勢を明確にしたものと言える。

「人的資本投資」はGX・DXを進める前提

日本の生産年齢(15~64歳)人口は、1990年代半ばに減少に転じ、総人口も2000年代後半にピークアウトした。潜在成長率はすでに1%を下回っているとみられるが、人口減少ペースはこれから加速するため、労働生産性の改善がなければ将来的にマイナス成長が恒常化してしまうリスクがある。

労働生産性の引き上げには、限られた人材の質を高めることが必要不可欠であることを踏まえると、人的資本投資を成長戦略の中核に据えるのは、マクロ経済政策の観点からも理にかなっていると言えよう。

また、6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2022(骨太方針2022)」では、(1)人への投資と分配のほかに、(2)科学技術・イノベーション、(3)スタートアップ(新規創業)、(4)グリーントランスフォーメーション(GX)、(5)デジタルトランスフォーメーション(DX)が、重点投資分野に挙げられた。(2)~(5)の施策を実現する上で、(1)は欠かせない。つまり、人的資本投資は、GX・DXを含むあらゆる施策を実現するための前提と言えるだろう。その意味でも、岸田政権が人的資本への投資を優先する姿勢を明確にしたことは方向性として正しく、今後、官民を挙げて取り組むことが求められる。

民間のOFF-JT研修と公的職業訓練がカギ

民間企業が行う人的資本投資には、大きく分けてOJT研修とOFF-JT研修がある。このうち、労働者のスキルを外部から見える化し、将来的に成長産業への労働移動を促していくためには、OFF-JT研修を充実させていくことが望ましい。また、資金力に乏しい中小企業に勤める労働者のスキルアップ、失業者の就業促進を図る上では、公的職業訓練の役割が重要になる。

みずほリサーチ&テクノロジーズでは、日本の潜在成長率を欧米平均並みに引き上げるには、官民合計で現在約1.6兆円の人的資本投資を約4兆円に増やす必要があると試算している。骨太方針2022では、3年間で4,000億円の「人への投資」施策パッケージが盛り込まれたが、さらなる拡充が求められよう。

「人を育てる」企業が選ばれる時代に

世界的にみると、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資への関心が高まる中で、数年前から投資先企業に人的資本の開示を求める動きが強まってきた。2018年12月、国際標準化機構(ISO)は、人的資本の情報開示に関する国際的なガイドラインとしてISO30414を発表した。日本では、東京証券取引所が2021年6月にコーポレートガバナンスコードを改定し、①取締役会の機能発揮、②企業の中核人材の多様性発揮、の開示が義務化された。また、政府は現在、人的資本投資を含む非財務情報の開示指針策定に取り組んでおり、近日中の公表を予定している。

このように、人的資本投資への注目は日に日に高まっている。現在は、開示を義務付けられる上場企業を中心に、人的資本投資の拡充や開示への対応が進められている段階にある。しかし、今後は人口減少が加速して人手不足感が強まる中で、働きやすい環境を整え、労働者のスキルアップに積極的に取り組む企業でなければ、優秀な労働者を確保することが難しくなると予想される。中堅・中小企業にとっても、近い将来、「人的資本経営」は重要な課題になるだろう。

 

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