連載

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2022年9月 No.541

太宰が愛した古レールの跨線橋

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木技術者になるには』(ぺりかん社刊、2022.4発刊)


鉄道の線路をまたぐ橋「跨線橋」。東京・三鷹には、築93年にもなる三鷹跨線人道橋が存在する。作家・太宰治ゆかりの場所であり、たくさんの電車や広々とした風景、雄大な武蔵野の夕陽を見ることができるとあって、人気のスポットだ。この跨線橋の取り壊しが決まったと聞いて、駆けつけた。

東京駅方面からJR中央線の快速電車に乗ると、三鷹駅を過ぎたところで、大きな鉄製の陸橋の下をくぐる。近くにJRの電車庫があり、橋は車庫への引き込み線や中央本線のたくさんの線路を南北にまたいでいる。

車窓から見上げると、跨線橋はごく低いところを通っており、細い鉄骨のトラスによる華奢なつくり。そのせいか私は長い間、保守専用の構内橋だと思っていた。ところが、ある日この橋の上を幼い子どもの手を引いた母親が渡っているのを目撃。えっ、一般人が渡っていいんだ…!

ネットで調べ、この橋が「三鷹跨線人道橋」という名前の人気スポットだと知った。また、1929(昭和4)年にできた古い歩道橋で、老朽化と耐震性の問題から解体撤去が決まっていることも。これは、今のうちに見ておかなければ!

▲三鷹跨線人道橋の南側の階段。蹴上けあげが浅いため階段の長さが長く、脚を大きく開いたような格好もドボかわいい

▲橋の上は両側のトラスにフェンスが張られている

古レールを再利用した“一斤の食パン”

三鷹駅から線路沿いを西へ歩く。跨線橋の姿はすぐに見つかった。解体撤去の情報がメディアでも取り上げられていたからか、予想外にたくさんの人が訪れていて驚く。親子連れや若いカップル、鉄道ファンらしき男性など、20人くらいいただろうか。

全長93m、幅約3m、高さ約5m。鉄骨を組んだトラス部分の下側に路面のある「下路式」の橋で、斜材が中央に向かって「逆ハの字型」になっているから、「プラットトラス」と呼ばれる種類だろう。縦枠が整然と並び、全体を横から見ると「食パン」のような直方体になっている。どこか生真面目な感じでドボかわいい。後年に補強されたものか、中央快速線の上部にだけ、門型の橋脚が立てられている。

古レールを駅のホーム屋根を支える架構などに転用した例はよくあるが、この跨線橋にも古レールが使われている。製造年などの刻印を探すと、「1911」と入っているレールを発見。

▲北東側から見た跨線橋。オレンジラインの電車が中央線。その線路の上空にあたる部分は、門型の橋脚で補強されている。
生前に橋上で撮影された太宰の写真には、プラットトラスの「逆ハの字」がはっきり写っていたが、
今は斜材が足されて「X字」になっているので少し分かりづらい

▲トラスの角を見ると、断面が「I字型」になっており、古レールを転用していることが分かる

▲古レールに製造年を示す刻印を発見。塗装を重ねて読み取りにくいが、「1911」と見える

太宰治が知人たちを誘った「ちょっといい所」

三鷹跨線人道橋は、太宰治のお気に入りの場所だったことでも有名だ。太宰は美知子夫人と再婚した1939(昭和14)年から玉川上水で入水自殺する1948(昭和23)年まで、戦時中の疎開時を除き三鷹で暮らした。知人が訪ねてくるとよく「ちょっといい所がある」と言い、跨線橋に案内したという。

三鷹は1923(大正12)年の関東大震災後、東京都心から被災者が移住してきて人口が急増した。それでも、太宰が引っ越してきた戦前には、まだ周囲に高い建物もなく、跨線橋からはおおらかな武蔵野の風景が見渡せたという。

太宰の『乞食学生』という短編には、三鷹に住む主人公の小説家が、客と気の利いた会話ができない自分を妻に知られまいとして、客を散歩に連れ出すという描写がある。太宰が実生活で客をこの跨線橋に誘ったのも、一つにはそんな理由があったのだろうか。跨線橋の案内板には、インバネスコートをまとった太宰が、物憂げな表情で階段を下りる写真が使われている。

▲跨線橋の上から西方向を見る。左側奥にあるのが電車庫。太宰のお気に入りだった眺めだ

戦火の中を生き延びた跨線橋93年の生涯

調布飛行場に近く、中島飛行機の研究所や軍需工場が集積していた三鷹は、第二次世界大戦のとき、度重なる空襲を受けた。太宰一家も疎開したものの、戦後は被災を免れた自宅に戻っている。跨線橋もまた、破壊されることなく戦後を迎え、塗装や補強などのメンテナンスを加えられつつ、令和の現在まで生き延びた。

建設から93年。太宰が『東京八景』の中で「ぶるぶる煮えたぎって落ちている」と表現した武蔵野の大きな夕陽は、今も跨線橋の上からよく見える。

三鷹市は橋の所有者であるJR東日本と協議した結果、階段の一部を現地に残すとともに、桁の一部を移設し保存することで合意。記録映像も残すという。撤去の時期は未定で、8月上旬にはまだあった。現役の姿を見たい方はお早めに!

▲竣工時のままなのだろうか、ところどころ階段のコンクリートは欠けているが、
古いものならではの味わいがある

 

●アクセス

JR中央線三鷹駅から徒歩5〜6分

 
 

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