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2017年11月号 No.493

しんこうTODAY 振興基金の活動報告

高校生の作文コンクール 国土交通大臣賞 受賞作品

魂の継承

富山県立高岡工芸高等学校 辻 乃々子さん

受賞者のコメント


作文コンクールへの応募自体が初めての挑戦でしたが、このような素晴らしい賞をいただくことができてとてもうれしいです。作文にはインターンシップで出会った宮大工の棟梁に刺激を受けたことを書きました。私は建築物の細かい装飾部分を見る事が大好き。将来は宮大工になって修復にかかわる仕事をしたいです。そしていずれは日本のトップになって外国でも教えられるようになりたいと思います。


私の祖父と父は彫刻家だ。幼い頃から二人の仕事をする姿をみてきた。二人は木材を鑿と玄翁と自分の腕で様々なものに変化させていた。その姿に純粋に憧れを抱き、祖父や父の様になりたいと思った。しかし、彫刻というものは、生活必需品とは違い、いつも売れるというものではなく、どんなに素晴らしい作品であっても注文がくるとは限らない不安定な面がある。私の憧れを夢にするには、その部分に少し引っかかりがあった。そのようなもやもやとした気持ちを抱いていた私に転機が訪れた。
私は以前から建築物、特に寺社仏閣など歴史的建築物を見てまわるのが好きだった。中でも様々な部分に施してある細かな装飾に自然と目が行き、見入ってしまう。何十年、あるいは何百年とその繊細さを保ち続けるためにはどのような仕掛けがあるのかを調べていくうちに、宮大工という仕事や建築物の修繕・修復の仕事にたどり着いた。これらの仕事は、建築物の修理や保存だけにとどまらず、建立当時の背景やその建築物が歩んできた歴史、あるいは当時の生活や建立に関わった職人の思いまでもを伝える仕事であることを知り、私の夢は固まった。「歴史的建築物の修繕・修復に関わる仕事に就きたい。」
その思いを胸に私は高岡工芸高校建築科への進学を決めた。高校では建築に関する専門的な学習だけでなく、コンペ製作やCADなど実践的なことも学んでいる。そして、何より印象的だったのが、インターンシップである。
私はこの夏、文化財保護の仕事をしている宮大工の棟梁のもとでインターンシップを体験した。その棟梁から「文化財保護という仕事はただ昔のものを新しいものに取り替えるのではない。例えば江戸時代につくられたものを修復するなら、自分も江戸時代の大工の気持ちになることが大切である。当時の技術を知るだけでなく、何を考え、何を思いながらその仕事をしたのか、そういったことを、五感を使って感じることで、自分自身が江戸時代に戻って当時の大工と会話することだ。」と聞き、私の夢の実現に向けての歩みはより力強いものとなった。
当時の大工の精神を受け継ぎ、次の世代へとその歴史や技術や思いを繋げていくこの仕事は、毎日汗だくになりながらも作品をよりよいものにするために魂を込めて全力で仕事に打ち込む祖父や父の仕事ともどこか重なるものがある。祖父や父の仕事への憧れと引っかかりが契機となり、別の形で私の夢が生まれた。今はこの素晴らしい夢に出会うことができた恵まれた環境に感謝しつつ、先人たちのものづくりに対する「魂」を受け継ぎながら、まずは二人を超える職人になれるよう、精一杯頑張っていきたいと思う。

将来の夢

鹿児島県立鹿児島工業高等学校 新村 歩夢さん

受賞者のコメント


作文コンクールへの応募は、クラスの40人の生徒の中から5名選ばれ、その一人が私でした。作文は2時間くらいで一気に書き上げました。今回受賞したことがとても信じられなくて、母に伝えたところ「もう1回確かめなさい」と言われたほど二人でびっくりしていました。私は鹿児島が大好き。将来は市内で就職して、叔母のように子育てをしながら働き続ける女性になりたいと思っています。


私は幼い頃、土木を身近に感じていました。祖父は港湾土木の仕事をしていて、父は型枠大工の仕事をしていました。当時、住んでいた家はリビングに食卓とは別に机がありました。父は仕事を家に持ち帰ってきた時、その机で仕事をしていました。父が何かの図面を描いていたのを何度か見た事があります。祖父も父も今は亡き人になってしまいました。
父は時々、現場に連れて行ってくれました。車の中から父の働く姿を見ていたのを今でもよく覚えています。その時初めて家ではあまり見せない険しい顔やたばこを吸っている姿を見ました。私も幼かったので、父が何をしているのか分かりませんでしたが、かっこよくて「父の近くに行きたい。」とただ単純にそう思いました。
私が中学三年生になった時、テレビのコマーシャルで「地図に残る仕事」という言葉を初めて耳にしました。かっこいいなと思いました。どの仕事も責任があって大切なことがたくさんあるけれど、この土木という仕事のように長い間、残り続けるものは少ないと思います。たくさんの人が関わって年月をかけて造られ、それ以上の長い年月の間、たくさんの人を助け、支え、自分の造ったものが残っていく「地図に残る仕事」という言葉は、私が土木の道に進みたいと思った一番の理由になりました。その後、弟の自由研究で鶴田ダムに行った時に、建設途中の機械がたくさんあり、骨組みもあり…、その時に土木を職にするという事を実感しました。建築関係に進むか土木関係に進むか迷っていた私は、「地図に残る仕事」という言葉と鶴田ダムの工事現場の大きさ、迫力に魅せられたことを思い出し、土木関係に進むことを決めました。そして今、私は工業高校で土木について学んでいます。少しずつ専門的なことを学び、先生方から現場の話を聞き、もっと土木に興味が湧きました。
私は今、高校二年生です。少しずつ社会が近づいてきています。好きなことを仕事に出来る人は少ないと思います。その少ない中に入れるよう今、いろいろと学んでいます。少しずつ近づいている社会を意識し、学んでいることを生かしていけるよう頑張りたいと思います。
母と出掛けていると、「あれはお父さんが造ったんだよ。」と教えてくれます。その度に、父への憧れと近づきたいという気持ちが大きくなっていきます。父が「型枠がないと造れないから一番大事だ。」と言っていたと母から聞きました。母は「全部無いと出来上がらないのにね、どこに関わってる人でもそう言うんだよ。」と私に教えてくれました。母は父が一番だと思うくらいに誇りをもって仕事をしていたんだという事を教えてくれたんだと思います。
まだ先の話ですが、私が親になったとき、私も子供に自分の関わった仕事を教えたいです。その時に胸を張れるように誇りを持って働きたいと思います。そして子供にも興味を持ってもらいたいです。
土木の仕事は、何かを造る時、一人ではなく誰かとの共同作業だと知りました。すべて繋がっているのだと思いました。
父から私に繋がったように、私から子へ繋げることが私の将来の夢です。
これから夢を叶えられるように、土木を感じながら、もっと興味を持っていきたいです。

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