日本経済の動向

日本経済の動向
2019年6月号 No.509

ビジネスモデルの転換 改元と日本経済の今後の展望

4月1日、新たな元号は「令和」に決まった。昭和の終わりの1980年代以降の日本経済を振り返ると、バブルの発生・崩壊と長期にわたる停滞期を経て、平成の終わりには世界並の成長への回帰がみられた。そして令和においては、新しい日本モデルの成長が期待される。今回は、改元を機に、日本経済のこれまでの推移と今後の展望について解説する。

「令和」がもたらす「春の訪れ」

日本と米国、世界の株式市場の時価総額の推移(図)を見ると、1980年代は「ジャパンアズ No.1」とされ、日本の株式市場は世界の時価総額の半分以上を占め、株・不動産が高騰し、資産インフレの時代だった。

図のの線が引かれた89年、平成元年が株式市場のピークで、平成の幕開けと共に一転して、日本は長い「雪の時代」に入る。すなわち、日本だけが世界から隔絶され、資産デフレ・超円高の「雪の魔法」がかかり、平成はバブル崩壊を一手に背負った元号となった。アベノミクスの6年間で資産デフレ・超円高が転換し、「雪の魔法」は溶けたものの、国民の意識は依然「雪の魔法」から抜け出しにくい状況にあった。こうしたなか、今回の「令和」への改元で政府が示した「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように」というのは、まさに「雪の時代」からのマインド転換を意味する。

持続性のある成長モデルの構築が重要

平成元年と令和元年の社会・経済環境をみると、さまざまな観点から、両者は対照的だ(表)

平成元年はバブル経済のピークであり、政治的には自民党の安定政権の転換期にあった。また、ベルリンの壁の崩壊により米国にとってのソ連の脅威が後退し、経済面のパワーから日本がソ連の後の仮想敵国の立場に浮上して、世界的に「出る杭は打たれる」かの如くバッシングを受ける時代となった。こうした状況は、結果的にバブル崩壊の震度拡大と、期間の長期化をもたらした。

一方、今日の日本は、「令和」に象徴される、日本の春の梅の美しさによってインバウンドを惹きつける時代になった。また、「自粛」が半年以上続いた平成に比べ、今回「祝賀」となるのは極めて大きな経済効果に違いない。

さらに、「令和」は「Cool Japan」を象徴するものとも言える。ジャパンマネーで強引に引き寄せた平成元年のバブルの時代から、日本のもつ文化と自然をアピールする時代に転じたとも解釈される。この転換は、2020年代に向けた新たな日本モデルを展望するものと考えられる。これは、バブルの頃のような高成長モデルではなく、持続性のある成長モデルである。高齢化先進国として、低成長ながら安定に向かう局面でもある。企業もレバレッジを高めた対応から財務的な安定をもった中での投資に向かい、企業も個人も国家もグローバルな投資家的対応をするビジネスモデルへと変わりつつある。国際政治においても、日本が90年代初の「バッシング」、その後の無視される「パッシング」の環境にあったのとは大きく異なり、「クロッシング」として世界の溝を埋める架け橋の役目も期待される。今年のG20議長国の役目はその象徴的な面をもつだろう。

 

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