かわいい土木
激動の時代を生き抜いた給水塔

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木技術者になるには』(ぺりかん社)、本連載をまとめた『かわいい土木 見つけ旅』(技術評論社)
戦前から世界の飛行家が降り立った立川飛行場を中心に、「空の都」として知られた東京西部の立川市。モノレールの車窓から、古い給水塔が見える。立飛ホールディングスが保有する2基の給水塔のうちの一つだ。飛行機工場だった時代に建設され、役目を終えた今も静かにまちを見守っている。
多摩モノレールの高松駅のすぐ目の前、フェンス越しに円筒形の大きな塔が見える。む、これは給水塔に違いない。円筒は上へ行くほど少しずつ細くなっている。コンクリートの柱と梁がグリッド状に露出したモダンな意匠だ。縦長の窓が並んでドボかわいい。
それにしても、古い給水塔がなぜここに?仕事でたまに立川へ来る私は、この前を通るたびに気になっていた。フェンスの先には「立飛リアルエステート」の看板。調べてみると、立飛ホールディングスのグループ会社だ。広報部にお願いしたところ、フェンス内へ入れていただけることになった。
飛行機工場に
水を供給
この給水塔は、1938年(昭和13年)に、立飛ホールディングスの前身である飛行機メーカー、「立川飛行機」によって建てられた。飛行機の製造工場を含む敷地全体に水を供給するためだ。
実はこれと同じ形の給水塔が、直線距離にして500mほど離れた場所にもう1基ある。2基の間には現在、多摩モノレールの高架と道路が通っているが、当初はひとつながりの敷地に向き合って立つ、双子の給水塔だった。
立川は、大正末から昭和初期にかけて、輝かしい「空の都」と呼ばれていた。発端は1922年(大正11年)に陸軍の飛行場が開設されたことだが、当初は民間の飛行場としても利用されたため、海外から著名な飛行家たちが飛来したことで脚光を浴びた。その後、羽田飛行場ができて民間の役目を譲ると、立川は軍都として発展していく。
立川飛行機は、現在のIHIと同根の企業、石川島飛行機製作所として誕生し、1930年(昭和5年)に東京・月島から立川へ工場を移転。終戦までに約1万機の航空機を世に送り出した。
その広大な工場の敷地に水を送り続けたのが、2基の給水塔だ。水槽容量は1基あたり約50t。戦後に同社が業容を転換してからも、2005年まで現役で稼働していた。地元では「立飛の給水塔」と呼ばれ、親しまれている。
▲1952年に飛行機製作が解禁されて間もない頃の「R-53型」。当時の社名は「新立川航空機」だった。写真提供:立飛ホールディングス
▲「立飛の給水塔」のベランダ。片方の角が丸くなって翼を思わせる。
▲給水塔の高さは17.24m。左に見えるのが、多摩モノレール高松駅で、車窓からも給水塔を眺めることができる。
進駐軍時代の
“壁画”も
さて、いよいよ給水塔の中へ入る。内部は4層の床があり、4階の上に水槽が設置されている。4階までは、上端がじょうご型になった柱が中央に1本だけあり、上階の床を支えている。大きな窓のおかげで、内部は思ったより明るい。
円筒の壁に沿って設けられた、コンクリートの狭い階段を上る。3階と4階の入口付近の階段室の壁には、落書きのような絵がペンキで描かれている。終戦後、工場がGHQに接収されていた時代に、進駐軍が描いたものだという。
内部階段は4階で終わり、登れるのはここまで。その先は小さなベランダから鉄製の外はしごが垂直に延びている。ベランダは床の左右が丸と四角のアシンメトリーになっていて、ちょっと飛行機の翼に見えなくもない。4階の窓からは、立飛ホールディングスが社有地を生かして開発した「ららぽーと立川立飛」や浅田真央さんとの協働により建設した「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」などが見渡せた。
▲各階は中央に柱が1本。上端がじょうご状になって上階の床を支持している。
▲外周に沿って緩いらせんを描く階段のカーブが、室内のアクセントになっている。
▲進駐軍の残した絵。アヒルの親子のようで、ユーモラスだ。
飛行機から自動車、
まちづくりへ
飛行機製造が禁じられた戦後の日本で、立川飛行機は大きな転換を迫られた。技術者たちは各方面へと活躍の場を移し、電気自動車などの開発に力を注いだ。中にはその後、自動車会社へ移り、「スカイライン」や「カローラ」の設計を担った人たちもいる。飛行機で培った技術が、戦後の経済発展の要である自動車産業を支えたのだ。
1970年代にGHQから返還された社有地は、現在の立飛ホールディングスに受け継がれた。その広さは約94万m2にのぼり、立川市の面積のおよそ25分の1を占める。近年は不動産事業が本業となり、前述の「ららぽーと」や「GREEN SPRINGS」などを次々と開発。まちに賑わいをもたらしている。
「空の都」と呼ばれた大正・昭和初期、軍都として栄えた戦中から進駐軍の足音が響いた戦後、復興を遂げた高度成長期、そして人々が集う今。2基の給水塔は、立川の激動の歴史を90年近くにわたりじっと見つめてきた。役目を終えた今も大切に残され、静かに平和を見守っている。
●アクセス
多摩モノレール高松駅または立飛駅下車、徒歩数分。立飛ホールディングスの南地区・西地区の敷地内に立地。
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