連載

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2022年3月 No.536

初の連結超高層、リフトアップ時の妙案は?

A アンサー    3. メディアに事前告知した

梅田スカイビルは、JR大阪駅の北側、旧梅田貨物駅に隣接する約4.1ヘクタールに開発した「新梅田シティ」の核となるツインタワーだ。地上40階の2棟の頂部を、丸い穴の空いた空中庭園展望台(地上173m)が結ぶ。設計の中心になった原広司氏によると、「世界初の連結超高層ビル」だ。

設計者は原広司+アトリエ・ファイ建築研究所、木村俊彦構造設計事務所、竹中工務店。施工者は竹中工務店・大林組・鹿島・青木建設JVだ。93年7月に開業した。

事業主は積水ハウスを中心とする4社。1988年、事業主はマイケル・グレーブス、日建設計、原広司氏(アトリエ・ファイ建築研究所)の3者によるアイデア・プロポーザルを実施。連結超高層を提案した原氏が当選した。

原氏はこのアイデアのヒントを、古代の遺跡から得たと語っている。「マヤ文明の遺跡『ティカルのピラミッド』(グアテマラ)にのぼると、頂部がジャングルの樹冠面(高さおよそ40m)の上に出て突然視界が開ける。そのいただきで、巫女みこは天啓を得たといいます。実際に立ってみると、本当にそういう気分になるんですよ。そんな神話の世界─『空中庭園幻想』を現代建築として具現化できたら、大阪の新名所になるのかなあ、と」。

メディア大注目のリフトアップ

この壮大な構想をどう実現するか。

竹中工務店で構造設計に関わったエンジニアは、大きく3つの方法を検討したと述懐する。①両側からはね出しを伸ばしていってくっつける、②下からジャッキで持ち上げる、③ワイヤで吊り上げる、の3つだ。その中で、最も工期が短く、合理的なのが、ワイヤで吊り上げるリフトアップ工法だった。

主に橋梁の施工で用いられていたリフトアップ工法を、橋に比べて柔らかい超高層ビルに合うように改良。1992年5月18日、約1000トンの庭園を地上39階と40階の高さまで1日で持ち上げた。リフトアップが進むと内側に偏荷重がかかるため、両棟とも外側に36mm反らせて建て方を行い、リフトアップにより修正される仕組みとした。毎分35cm、ゆっくりとリフトアップされ、作業完了に約7時間を要した。

原氏はこう語っている。「重要なのは、それをこっそりやらず、衆人環視のなかで実施したこと。現場所長だった吉永(深)さんの英断だ。その日はメディアがこぞって取材し、大きな話題になった」。筆者も当時、この映像を各局のニュースで見た。徐々に吊り上がる展望台と、それを見守る大勢のメディアや一般の人たち。今でいえば、SNSで大バズりのお祭りだ。

この後、空中エスカレーターやブリッジなどもリフトアップによって設置した。

竹中工務店は3年後の1995年、リフトアップ工法を「ナゴヤドーム」の施工でも採用した。今では、同社以外も大空間の施工にしばしば用いる手法となっている。

実は梅田も「3棟連結」だった

そして連結超高層はその後、シンガポールの「マリーナベイ・サンズ」(3棟連結超高層、2010年完成)など、世界に広がった。梅田スカイビルのリフトアップの映像が世界の建築家に影響を与えたことは間違いない。

実は、梅田スカイビルも当初、「3棟連結」の計画だった。1988年に原氏が選ばれた直後の資料には、コの字に並んだ3棟の頂部が空中庭園でつながるビジュアルが残されている。

経済的な問題から2棟で実現したが、原氏は3棟の可能性を最後まで捨てていなかった。「敷地北側に広がる花野・新里山は3棟目が建つ場所としてそのときを待っているのです。3棟連結になるその時こそ、梅田スカイビルは完成するのです」。

原氏は「未完」という“永遠に続く物語”をこのプロジェクトに仕込んだのだ。

参考文献・資料:
日経アーキテクチュア2018年8月9日号特集「技術観光」、産経新聞2016年3月28日「自作再訪/梅田スカイビル」、梅田スカイビル空中庭園展望台内の展示資料

 

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