かわいい土木
東京港を高潮から守るクジラたち
訂正:クジラをモチーフにしたカバーと吐出し管は、浜離宮排水機場のものではなく、隣接する汐留第二ポンプ所の施設でした。お詫びして訂正いたします。
Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。
広報研修講師、社内報アワード審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP 社刊、共著)
江戸は寛政の世に、1頭の巨大クジラが目黒川河口に迷い込み、漁師たちに捉えられて浜離宮で将軍に謁見―。そんな珍事を今に伝えるかのように、東京の港湾施設にはクジラのモチーフがあしらわれている。首都を水害から守るのに欠かせない、排水機場と水門の関係は、江戸のクジラとどう関わっているのか?!

東京・浜離宮恩賜庭園の南側の水路で、白いクジラが尾を上げている。今にもバシャッと水面を叩いて水しぶきを上げそうだ。その正体は、浜離宮排水機場のずらりと並んだ吐出し管のカバー。丸みを帯びたフォルムといい、しっぽだけが見えている感じといい、じつにキュートでドボかわいい。
ホエールウォッチングで有名な観光地なら、街のあちこちにクジラのモチーフがあしらわれていても不思議はない。でも、ここは東京湾の最奥部。大きなクジラの尾は、ちょっと場違いな印象があるかもしれない。
ところが、じつは浜離宮とクジラを結びつける史実があったのだ。
江戸っ子を驚かせた「寛政の鯨」
江戸時代の寛政10年(1798年)5月1日、東京湾に1頭の大きなクジラが迷い込んだ。漁師たちによって品川の洲崎沖で捕獲されたクジラは浜御殿、つまり浜離宮まで船で曳航され、将軍家斉に見せられたという。その後、再び洲崎へ戻された珍獣をひと目見ようと、大勢の江戸っ子たちが押し寄せた。これが後に「寛政の鯨」と呼ばれる事件だ。
やがてクジラは解体され、詳細が「鯨見分書」に記された。その特徴から、体長16.5mのシロナガスクジラだったと推定されている。これほど巨大なクジラが目の前に現れたのだから、当時の人々はさぞ驚いたことだろう。頭部は洲崎弁天と呼ばれた現在の利田神社の境内に埋められ、そこには今も「鯨塚」が遺っている。
▲利田神社の隣の公園には、クジラの頭の形をした大きなオブジェがある。
▲鯨塚の案内板には、寛政の鯨の絵図が掲載されていた。
210年を経て目黒川にカムバックしたクジラ
利田神社から南へ10分ほど歩いたところにも、クジラをモチーフにした土木施設がある。目黒川の河口にある「目黒川水門」だ。2枚の門扉にまたがり、波間から顔としっぽを出したかわいいクジラのイラストが描かれている。
この水門にクジラが登場したのは2008年のこと。地元の町会や商店会、企業、NPOなどからなる運河ルネサンス協議会の公募によって選ばれた作品で、タイトルは「しながわ鯨」。やはり「寛政の鯨」のエピソードを基に考案されたものだという。
ちなみに、目黒川の河口はもともと利田神社のあるあたりだった。「洲崎」という地名は、目黒川の河口にできた細長い砂洲の先端だったことに由来している。ところが大正末から昭和初期にかけて、蛇行していた目黒川を分岐して直線的に東京湾とつなぐ河川改修が行われ、現在の位置に新しく河口ができた。さらに昭和40年代(1960年代)には元のルートが埋め立てられて、新しいほうの河口だけが残った。
つまり、場所が移動したとはいえ、寛政の鯨から210年後、まさにそのクジラを捉えた目黒川河口の水門にクジラが描かれたことになる。
▲クジラのイラストが描かれた目黒川水門。東品川海上公園から正面に見える。
水害から首都を守る頼もしいインフラ
浜離宮排水機場と目黒川水門をクジラつながりで紹介したが、じつは排水機場と水門は、インフラ機能の面でも、切っても切れない関係にある。東京は、この二つの施設の連携によって、水害から守られているからだ。
台風などによる高潮や地震による津波などの際、陸地への浸水を防ぐために、沿岸には防潮堤が築かれている。ただし、運河や川が海に流れ込む場所は、防潮堤が分断されて無防備になってしまうので、水門を設ける。水門を閉めれば、防潮堤が連続しているのと同じ状態になり、海からの水は陸側へ入ってこない。
しかし、豪雨などで陸側も増水している場合、水門を閉めてしまうと、川の水が海へ排出できず、内水氾濫の危険が高まる。そこで、水門の内側に溜まった水をポンプで強制的に防潮堤の外へと排出するのが、排水機場の役割だ。
東京港の周辺にはおよそ20カ所の水門と4カ所の排水機場があり、浜離宮排水機場と目黒川水門もその一つ。愛らしいクジラのモチーフで親しみやすさをアピールしつつ、災害から首都を頼もしく守ってくれているのだ。

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