連載

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2020年4月号 No.517

かわいい土木 若き技術者の挑戦が生んだレンガの樋

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP   社刊、共著)


穀倉地帯として知られる埼玉県比企郡吉見町にある天神沼樋と永府門樋は、溜池の水を耕作地へ引き、かんがい後に排水する農業施設。汚れの溜まりにくい卵型水管や施工性にすぐれた箱型門樋など、西欧技術を吸収した若手技術者たちの挑戦の軌跡をたどった。

▲堤防から見た天神沼。写真の左側の堤防に樋の呑口がある。
 

住宅の隙間を流れる細い水路の先に、卵を逆さまにした形にぽっかりと開いたレンガの穴。明治期に日本に導入された「卵形水管」だ。

ここは埼玉県の川越から10kmほど北にある比企郡吉見町。卵型水管は、天神沼という農業用溜池の水を田へ引き込むために、沼の堤防の下に通した。若手技術者たちのチャレンジ精神の結晶だ。

オランダ人お雇い技師から最先端技術を吸収

吉見町は、西側の丘陵地帯と、東南に広がる広大な水田地帯からなる。天神沼は江戸時代に、丘陵につくられたいくつもの溜池の一つだ。ここから田へ引き入れた水は、かんがい後に1kmほど南に設けた永府門樋えいふもんぴから、市野川用水を経て市野川へ排水される。水田を媒介する水のインとアウトだ。

天神沼の樋は、当初は木造だったが、1902年(明治35年)の洪水で流出。翌年に復旧されたのが、現在まで遺るレンガ造の施設だ。取水する呑口のみぐちは楕円形の集水桝になっている。水はそこから沼の堤防を貫通する卵型管を通って、出口である吐口はきぐちへと流れる仕組みだ。

卵形管は、1846年にイギリスで考案された。下部の狭まった楕円形の断面形状とすることで、水量が少なくても水深と流速を保つことができる。汚物などが底に溜まりにくいので、下水管にはうってつけだ。日本では明治以降、横浜や神戸の外国人居留地、東京の神田といった都市の近代下水道に採用された。

しかし、下水道以外でレンガ造の卵形水管が施工された事例は、ほとんど知られていないという。なぜ、農業施設である天神沼樋に用いられているのか。

長い間の鎖国が終わり、西欧の土木技術が一気に流入したのが明治という時代だ。殖産興業を掲げる政府は高給を支払い、“お雇い外国人”と呼ばれた外国人技術者を招聘した。なかでも河川整備で活躍したのが、ムルデル、エッシャー、ファン・ドールン、デ・レーケといったオランダ人技師たち。前述の神田下水の卵形管を設計したのも、デ・レーケの指導を受けた内務省技師、石黒五十二いしぐろいそじだ。

そんな最先端の土木技術を積極的に吸収しようとしたのが埼玉県だった。技術者の育成制度を設け、ムルデルが指導していた内務省土木局の利根川出張所に、伝習生として若手を派遣した。天神沼の特異な形式の樋は、埼玉県が直営で施工したものだ。

▲天神沼樋の卵形水管の吐口。写真などでよく見る神田下水とそっくりだ。

▲天神沼樋の全景。卵形水管の断面は高さが1m足らず、幅が50〜60cm程度と意外に小ぶりだ。両脇の翼壁の最上部にはかわいらしい塔が載っている。樋門の上の開口部は、後年に設けられた余水吐。

明治の新建材「レンガ」で装飾性と施工性を両立

一方、排水側の永府門樋もまた、埼玉県の技術指導によって築かれたものだ。

天神沼から、一面に広がる枯れ田を眺めつつ歩くこと20分。耕地からの排水路が市野川用水に合流する箇所に、永府門樋があった。門扉はすでに取り外されているものの、もとは2連のゲートからなる箱型の樋門で、1901年に木造からレンガ造へと改築されたという。かつては水路を渡る橋としての役割も果たしていた(現在は通行禁止)。

明治期につくられた埼玉県のレンガ樋門は、当初はアーチ型で装飾を施したものが一般的であったが、施工性や実用性を追求した結果、次第に箱型で装飾の少ないものが主流となった。永府門樋はその進化の過程を示しており、シンプルな箱型でありながら、「蛇腹じゃばら」と呼ばれるレンガの装飾をまとっている。

明治中期から昭和初期にかけて、埼玉県には天神沼樋や永府門樋をはじめ、250基を上回る数の樋管や樋門がレンガ造で築造された。当時の日本では、レンガ自体が新しい建設材料。深谷市には日本煉瓦製造会社もでき、レンガは埼玉県を支える代表的な近代産業となった。

西欧の技術を旺盛に吸収し、新しい材料で最先端のインフラをつくる―。県内に数多く遺るレンガ樋には、希望に燃えた当時の若手技術者たちの奮闘が刻まれている。

▲手すりの上部には、レンガを斜めに並べて角を見せる「蛇腹」の装飾が施されている。
桁部分は石材で、右から左へ「永府門樋」の文字が刻んである。
 ▲天神沼や隣接する大沼から引いた水でかんがいを行う水田地帯。
 
 
■アクセス
東武東上線東松山駅から鴻巣駅西口行きバスで約10分、あるいはJR鴻巣駅から東松山行きバスで約15分の「亀の甲」停留所下車。そこから徒歩1分。
 

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