かわいい土木

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2018年5月号 No.498

かわいい土木 岡山藩が遺した船のエレベーター

岡山県岡山市の吉井川のほとり。堤防の上を走る県道の下に、紡錘形の舟溜りを備えた石造りの閘門式水門がある。こうした形式は非常に珍しく、現存する日本最古のものと言われている。その誕生の背景には、名君池田光政と稀代の土木計画家津田永忠の奮闘があった。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP 社刊、共著)


レモンのような紡錘形の池の端、石垣がキュッとくびれた部分の上に、巻き上げ機の入った小屋がちょこんと載っている。岡山県岡山市にある倉安川吉井水門だ。この水門が珍しいのは、水位の異なる二つの川の間に舟を通す「閘門形式」であること。つくられたのは江戸初期の1679年で、国内で最古の閘門と言われている。

堤防側から見た紡錘形の舟溜りと二の水門。水門の奥が倉安川につながっている。後世の吉井川の改修によって、「一の水門」は堤防に埋め込まれた。

閘門はよく、“船のエレベーター”と称される。装置は閘室(上で言う池)と、その前後2カ所に設けた水門からなる。まず前の水門を閉めて水をせき止め、後方から舟を閘室へ入れる。次に後ろの水門を閉める。これで、閘室は閉鎖された水域になる。その後、前の水門を少しずつ開け、水位が前方の川と同じになったら、舟を前方へ進める。水に浮いた舟が閘室内の水位の変化とともに上下するところは、まさにエレベーターだ。
吉井水門も「一の水門」と「二の水門」があり、その間に「高瀬廻し」と呼ばれる舟溜り(閘室)がある。

倉安川吉井水門の「二の水門」。両側の石垣護岸は、花崗岩の切り石を積み上げたもの。

熊沢蕃山の反対で頓挫した大干拓事業が再浮上

吉井水門のある倉安川は、備前国で「東の大川」と呼ばれた吉井川と、「西の大川」と呼ばれた旭川をつなぐ延長約20kmの運河だ。名君で知られる岡山藩主池田光政の命により、家臣津田永忠が指揮して開削された。目的は、干拓新田への灌漑用水の供給と、岡山城下へ年貢米や物資を運ぶ高瀬舟の水路整備。
干拓で問題になるのは、給水と排水だ。新田には水が必要。一方で、海側に新田ができることで旧田は内陸となり、排水が困難になる。光政は早くから児島湾北岸に新田開発を検討したが、家臣の陽明学者熊沢蕃山は旧田への影響を指摘し、猛反対。計画は頓挫していた。
蕃山が藩を去った後、頭角を現したのが永忠だ。光政に才能を認められ、インフラ整備を任されるようになる。池田家の墓所造営を皮切りに、城下を洪水から守るための放水路として百間川を開削するなど大活躍。
一時期は閑谷学校(日本最古の庶民のための学校)の運営など、藩政の中心から遠ざかったものの、藩は度重なる洪水で凶作が続き、餓死者が続出する事態に陥った。この窮状を脱するには、新田を開発するしかない―。再び郡代に起用された永忠は、満を持して光政の夢見た大干拓事業に乗り出すことになった。

灌漑用水を航路と併用し舟運の効率も高める

永忠は思案の末、壮大な構想を描き出す。東西に1本、南北に2本の灌漑用水を新たに開削するとともに、百間川や既存の河川を拡幅して給排水を賄い、合計3000ヘクタールにも及ぶ新田を沖合に干拓するというものだ。
だが、陸地が海側へ延びれば、川から児島湾を通って城下を行き来する高瀬舟の航路は遠回りになる。そこで、永忠が真っ先に着手したのが、東西を結ぶ用水、すなわち倉安川の開削だった。高瀬舟にこの用水を通らせることで、吉井川から城下を流れる旭川へと、最短距離で行くことができる。そのために当時の最新技術を駆使してつくられたのが、吉井水門だ。
財政難の折、永忠は建設費を捻出するため、光政の娘の持参金を借用して運用するなど、資金集めにも苦心。すべてを新たに開削するのではなく、点在する既存の用水や小川、沼などをつなぐようにして工事を最小限にとどめた。
こうして倉安川は1年もかからずに完成。開通から20日間で1000艘近い高瀬舟が通行したことが、池田家の古文書に記されている。永忠は、児島湾を経由した場合の通行料を試算し、倉安川ルートの通行税をその半額以下に抑えたという。江戸初期のこの時代に、永忠が今で言う費用便益分析の発想をもって事業に当たっていたことに驚かされる。
堅牢な石造りの吉井水門は、およそ340年たった今も往時の姿を残したまま、舟溜まりに水をたたえてひっそりと佇んでいた。

二の水門の奥には、舟を乗り降りするための石積みの階段が残されている。

花崗岩の巨石でつくられた水門の石柱には、樋板を落とすための溝が彫り込まれている。

水門全体の構造図。二つの水門の間に紡錘形の舟溜りがあることが分かる。


アクセス

JR赤穂線長船駅から車で10分程度。

 

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