名建築のつくり方

名建築のつくり方
2025年12月・2026年1月号 No 574

傾いた膜屋根をどう膨らませた?

A アンサー    1. 照明など屋根から吊る設備を取り付けたうえで、しぼんだ状態から空気で膨らませた

東京ドームは、膜材でできた屋根を空気で膨らませた「エアドーム」だ。簡単にいえば巨大な風船である。屋根材は透光性のあるテフロンコーティングを施したガラス繊維布の二重膜。計225枚使用している。

外から見ると、メロンパンのように格子状の膨らみが見える。これは二方向に張った補強用のケーブル計28本がある部分で、ケーブル自体は通常の鉄骨構造と違い、屋根の重さを支えていない。エアドームにも種類があり、「ケーブル補強空気膜構造」と呼ばれるものだ。

ケーブルや照明設備などを入れると、屋根全体で約400トンの重さがある。これを、外周部に取り付けた送風機で内部に空気を送りこんで膨らませている。出入口の回転扉に立つと、室内から風が吹き出すのでそれが実感できる。

400トンの重さの屋根を持ち上げるには、空気圧を相当高める必要があるように思うが、実は通常の大気圧よりも0.3%高いに過ぎない。ビルの1階と9階の気圧差程度だ。中に入ってしまえば、気圧は全く気にならない。

巨大な模型で膨らみ方を検証

膨らんだ形は見慣れている東京ドームだが、この形をどうやってつくったのか。設問の答えは、「照明など屋根から吊る設備を取り付けたうえで、しぼんだ状態から空気で膨らませた」だ。この方法だと、屋根をつくるのに高所の足場が少なくて済む。安全で作業時間も短い。当然、コストが安くなる。

大型のエアドームが世界的に注目されたのは、1970年の大阪万博だった。「月の石」を展示した「アメリカ館」は、137×77mのエアドームだった。アメリカでは5年後の1975年、ミシガン州に長辺が200mを超える「ポンティアック・シルバードーム」が完成。以後、エアドームが続々と建設された。

日本では竹中工務店の竹中統一社長(当時)が、その技術の将来性に目を付け、社を挙げた技術開発を指示。自社の実験棟(1982年)や「霊友会弥勒山エアドーム」(1984年)を経て、東京ドームでのエアドーム採用に至った。設計は日建設計と共同で進めた。

設計陣が最も神経を使ったのは、しぼんだ状態に空気を吹き込む「インフレート」と呼ぶ作業だった。東京ドームは屋根が水平ではなく、10分の1傾いている。そうした特殊な形もあり、膜が持ち上がるときに局所的に力が加わると、ケーブルが膜を破る可能性がある。建設地が都心なので、事故は許されない。

安全に膨らむディテールを検証するために25分の1の模型をつくった。25分の1といっても、マイクロバスくらいの大きさだ。ここに225枚の膜材パネルや8000個に及ぶ金具などを取り付け、何百回も実験を繰り返したという。インフレートの研究だけで2年を要した。

インフレ―トは3時間で完了

実際のインフレートは1987年6月28日(日曜)の早朝に行われた。早朝の方が突風が吹くリスクが小さいからだ。400人の作業員が近くの旅館などに泊まり、朝4時に現場に集合。5時半に36台の送風機を一斉に稼働した。最初はゆっくりと外から膨らみ、徐々に内側へと膨らみが広がる。命綱をつけた作業員がドームの上を点検して回った。

8時3分に予定の内圧である30mmAq(0.294kPa)に到達。開始から3時間後の8時半に、インフレートは完了した。膜材には1枚の損傷もなかった。建物全体としては、翌年3月に竣工した。

建設費は約350億円。近年のドーム施設と比べると安い印象を受ける。当時「20年もつ」と言われた膜材は、すでに40年近くもっている。ただし、空気で膨らませる構造なので、送風機を止めることができない。平常時、膜屋根は2台の加圧送風機で維持する設計で、1日の電気代は当時およそ20万円だった。イベントがあれば、これ以外に空調の費用などがかかる。電気代の心理的負担が影響しているのか、その後、国内では大規模な恒設のエアドームはつくられていない。

 

参考文献・資料:
『日経アーキテクチュア』1986年1月13日号、同1987年9月7日号、同1988年4月18日号、「恒久膜構造の黎明」(丹野吉雄/日本膜構造協会講演資料)、東京ドーム公式サイト

 

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