日本経済の動向

日本経済の動向
2023年10月号 No.552

脱炭素化と国際貿易の行方

気候変動への対応として、世界各国が2050年までにカーボンニュートラルを実現するという目標を掲げる中、脱炭素化を巡る企業・国家の競争が熾烈さを増しており、その動きは国際貿易にも影響を与えると考えられる。そこで今回は、脱炭素化政策の中でも、特に貿易摩擦への影響が懸念されている米国のインフレ削減法とEU(欧州連合)の国境炭素税について解説する。

熾烈化する脱炭素化に向けた国家間競争

2015年に採択されたパリ条約では、温室効果ガス排出量の削減により、「世界の平均気温上昇を産業革命以前と比べて2℃未満、できれば1.5℃に抑える」という長期目標が掲げられた。これに基づき、現時点で120を超える国・地域が、50年までのカーボンニュートラルの実現を目標に掲げている。とりわけ近年では、ロシアのウクライナ侵攻や米中対立などの地政学的緊張を背景に、エネルギー安定確保への意識が強まり、脱炭素社会への早期移行に向けた取り組みが各国で加速している。脱炭素分野を自国の新たな成長産業に育成することで、経済成長と気候変動対応の課題を同時に解決しようとする動きが顕著だ。

一方、産業政策と密接に関係した脱炭素化政策は、新たな貿易摩擦の火種になる恐れも指摘されている。以下では、その影響が最も懸念されている米国のインフレ削減法とEUの国境炭素税について解説する。

 

環境関連の産業補助金はシンプルなルールを定め、企業の予見可能性を高めることが重要

米国では22年8月にインフレ削減法が成立した。インフレ削減法と呼称されているが、実体はクリーンエネルギー技術の製造・使用を奨励する脱炭素支援のための補助金政策(含む税額控除)である。貿易面で主に懸念されているのは、電気自動車(EV)の購入時に受けられる税額控除の対象が、米国とのFTA(自由貿易協定)締結国で生産・加工された車載電池用の重要鉱物を一定割合使用し、かつ最終的に北米内で組み立てられたEV車に限定されたことだ。これに対しEU、日本、韓国などは、自国製品が米国市場で競争上不利な環境に置かれるとして、一斉に反発した。WTO(世界貿易機関)協定では、補助金自体は一般に禁止されていないが、輸入産品よりも国産品を優先して使用することを義務づけるといった内外差別扱いは禁止されている。

なお、日米間では貿易協定が発効しているが、これは貿易自由化の程度が十分ではなく、FTAの要件を満たしていない。このため日本政府は23年3月、日米重要鉱物サプライチェーン強化協定の署名を急いだ。これにより日本はインフレ削減法上FTA締結国として認められる見通しとなり、ひとまず難を逃れた格好だが、環境関連の産業補助金を巡る不確実性の高さが浮き彫りとなった。

気候変動対応の産業補助金は、米国以外の先進国でも巨額化が進んでおり、公平な競争環境の維持を要求する貿易相手国からの声は高まりやすいだろう。市場競争や自由貿易を損なわないよう、バランスに注意を払う必要がある。透明性の高いシンプルなルール作りを行い、企業の予見可能性を高める努力が重要だ。

 

EUの国境炭素税は世界全体の炭素排出量をかえって増加させてしまう可能性も

EUでは26年に、生産過程での炭素排出量が多い輸入品に対して事実上の関税を課す国境炭素税(国境炭素調整措置)を導入予定だ。当初の対象品目として鉄鋼、アルミ、セメントなどが指定され、順次拡大される見込みである。

これに最も影響を受けると考えられるのは新興国からの輸入品である。脱炭素対応が先進国と比べて遅れている新興国は、国境炭素税が課されるとEU市場で競争上不利な状況におかれることになる。この場合に起こりうる国際貿易への影響は、国境炭素税により競争力が低下するEU市場向けの輸出品が減少し、その減少分だけ他の市場が供給超過に陥ることだ。製品価格に下落圧力がかかり、企業の収益環境が悪化する恐れがある。また、環境規制が相対的に厳しい国(EU)から緩い国(新興国)へと製造拠点がシフトし、世界全体の炭素排出量がむしろ増加してしまう可能性も考えられる。これではカーボンニュートラル達成に貢献することを期待して導入されたはずの国境炭素税が、逆効果を生んでしまう。

WTO協定には、「同種の産品」に対して内外差別扱いしてはならない、という大原則がある。今後、他国からは、生産過程での炭素排出量が異なっても「同種の産品」であることには変わりない、との反論が起こり得る。EUが、国境を越えた貿易や気候変動への影響を伴う措置である国境炭素税を設けるにあたっては、WTO協定に整合的な形で制度設計することが肝要となるだろう。

 

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