連載

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2017年5月号 No.488

かわいい土木 身を投げうって水門を守る水辺の騎士

重厚長大、威風堂々な土木構造物の中に潜む、健気でいじらしい一面。そんな“ドボかわいい”インフラ施設を紹介する連載「かわいい土木」。今回は、洪水時にあえて門扉ごと水に流してしまうことで被害を最小限に食い止める「投渡堰(なげわたしぜき)」の歴史をひもとく。

Photo・Text : フリーライター 三上 美絵
大成建設広報部勤務を経てフリーライターとなる。「日経コンストラクション」(日経BP社)や土木学会誌などの建設系雑誌を中心に記事を執筆。広報研修講師、社内報コンペティション審査員。著書『土木の広報~『対話』でよみがえる誇りとやりがい~』(日経BP 社刊、共著)


洪水が起こったとき、みずからの門扉を体から切り離し、奔流のなかに投じることで、暴力的な水の勢いをかわす――。投渡堰は、そんな自己犠牲の精神に満ちたドボかわいい堰だ。東京・多摩川の中流にある羽村取水堰は、“投げ渡し”と呼ばれる江戸時代の土木技術を現代に伝える現存唯一の例として知られている。

多摩川の水を江戸城へ導く大事業「玉川上水」

今から360年ほど前、参勤交代が制度化されると、全国の大名の家族と家臣は江戸住まいを義務づけられた。人口が急増した江戸では水が足りなくなり、新たな水道が求められるように。そこで、幕府は多摩川の水を城下へ引き入れようと、玉川上水の建設を計画した。
羽村から江戸城外濠の四谷大木戸(現在の新宿区四谷)までは、全長43kmに及ぶ距離がありながら、高低差はわずかしかない。100mごとに21cm下る計算だ。こうした緩勾配の水路を掘るには、高度な測量技術が欠かせない。
羽村取水堰の近くにある羽村市郷土博物館の展示には、「夜に提灯を持った人が工事予定地に並び、その明かりの列を見て、高さや方向を測ったという話が伝えられている」とある。こんなローテクな方法で正確な測量ができたというのだから、その技術力には感嘆するしかない。
玉川上水は着工からわずか8カ月で、四谷までの素掘りの水路が完成。翌年にはそこから地下に石樋や木樋を通し、江戸城と城下の南西部一帯に給水した。このとき起点となる羽村につくられたのが、多摩川をせき止めて水をためる取水堰と、そこから玉川上水へ分水する流量を調節する二つの水門だ。承応3(1654)年のことである。

正面が下流側から見た羽村取水堰の投渡堰。現在の堰は明治末につくられたものだが、そのしくみは江戸時代と変わらない。

洪水に逆らわず、流れに身を委ねる知恵

堰には大きく分けて、固定堰と可動堰の二種類がある。前者が土やコンクリートを盛り上げた堤であるのに対し、後者は水門のように門扉などを開閉することで、流量を調節できるのが特徴だ。ふだんは門扉を閉じて水をため、川が増水したときは門扉を開いて流下させ、水があふれるのを防ぐ。
現在の羽村取水堰は、右岸側が固定堰、左岸側が可動堰になっており、全長は約380mに及ぶ。ここでせき止められた水は、堰の横に設けられた第一水門から取水され、30m下流にある第二水門で水量を調整して玉川上水へ流される。
第一水門の脇には、かわいらしい小さなアーチがいくつか並んでいる。「小吐(こはき)水門」と呼ばれる放流口だ。第一水門から流入した水が通常の取水量を超えた場合、余分な水を多摩川へ戻すとともに、流入した土砂を吐き出す役割を持っている。
さて、本題の「投渡堰」は、羽村取水堰の可動堰の部分だ。その構造は、複数の支柱の間に鉄の桁を渡し、「投渡木(なぎ)」と呼ばれる横架材を並べて垂直材で支えるもの。大水の際は、垂直材の丸太を取り払い、投渡木ごと多摩川に流してしまう。

コンクリートの支柱の間に、鉄の桁を渡し、丸太の垂直材で投渡木(横架材)を支える。大水のときには、桁と丸太を外して投渡木ごと川に流してしまう。

現在の第一水門。右の写真の開閉装置で17のゲートを上下させて流量を調節する。

この投渡堰が、みずからを犠牲にしてまで守っているもの――それこそが、玉川上水の水門なのである。二つの水門のうち、「一の水門」と呼ばれた第一水門は、投渡堰と直角に、つまり多摩川と平行に設置されている。もし、堰が開かなければ、せき止められた怒涛がダイレクトに一の水門を襲うことになる。水門は破壊され、濁水が玉川上水に流れ込み、江戸東京の市民の飲水が奪われてしまう。投渡堰はこうした被害を防ぐために、体を張ってきたのだ。
現在の羽村取水堰は、1911(明治44)年に木製からコンクリート造に改築されたもの。だが、基本的なしくみは建設当初のままだ。360年以上にわたり、“水辺の騎士”として玉川上水を守り続けている。

上の写真の画面を横断しているのが、第一水門と小吐水門。奥に見えるのが多摩川と投渡堰で、手前側が玉川上水の起点。川のほとりには、玉川上水を開拓した玉川兄弟の銅像が立っている。(右の写真)

第二水門から玉川上水を見る。第二水門は、角材を積み重ねることによって川を締め切る「角落とし(かくおとし)」の構造だ。

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