歴史資料

絵で見る江戸のくらし 13.江戸時代の上下水道

文・絵=善養寺ススム

江戸時代の上下水道

江戸市中の上下水道の配管図。町中を木製の配管がめぐり、下水は主に雨水の排水用だった。鳶や下男が日常的に溝浚いをしていた。

 江戸っ子の自慢話にも出るように、江戸市中は水道が通っていて、いつでも誰でも使えて枯れることがありませんでした。しかし、この時代、江戸だけに水道があったわけではございません。
 例えば、奥州仙台城下や奥州米沢城下、常陸国水戸城下、越前福井城下、播州赤穂城下、因州鳥取城下にも水道は設置され、飲用や消火、灌漑に使われていました。
 それは、江戸時代に作られた新しい都市が商業を中心にするようになったため、水運の便の良さが優先されたからです。船が着けやすい場所といえば低地ですから、どうしても井戸水の質が悪かったため、水道の布設は必要だったのです。
 江戸前期、その工事は大変だっただろうと思いがちですが、意外にもほとんどが二年以内のスピード工事で、さくさく完成させています。江戸の《玉川上水》四十二キロは僅か一年半。仙台《四ッ谷用水》も約四十キロを二年で。水戸の《笠原水道》は七キロを一年半。これはちょっとかかっていますが、福井の《芝原上水》は八キロを五年。《赤穂水道》は全長三十キロを二年で作っています。なんと手際のいいこと。
 工事の手際がいいということは、読者の皆さんならおわかりでしょうが、現場の人足も「素人ではない」ということがうかがわれますね。用水作りの要を知っているからこそ、このスピードで完成させられるのです。しかし、大事業には数千人の人夫が必要です。そんなプロ集団がいたのでしょうか?
 実はこの工事を担ったのは近隣の農家でした。農業には灌漑がつきものですから、コツを心得ていてもなんの不思議もないわけですね。
 右の絵は、江戸市中の水道井戸の図です。市中に入った水道用水は、暗渠(あんきょ)や埋設された木樋(もくひ)で町中に配水されました(赤穂は先進的で、当初から土管が使われました)。
 水道は普請を担った責任者である《水奉行》と江戸市中の《町年寄》が管理し、費用は町毎に徴収されました。そして、実際の管理業務は《町役人》が担いました。庶民は上水の水質管理のために、毎年七月七日に《井戸浚(さら)い》を行い、井戸や桝(ます)の清掃をしました。時には井戸のなかに鮎が紛れ込んでいたりしたそうですよ。

深川の家々を廻る《水屋》。手に持つのは水道井戸で使う長柄杓。

 そして、左の絵は《水屋》です。大川(隅田川)の向こう側の深川あたりには水道を通せないので、こうして担いで売り歩いたのです。料金はひと竿(一荷(いっか))で四文(約百円)でした。《冷水売り》という、夏場に通りで飲み水を売る商売が、錫(すず)の杯に一杯で四文でしたから、だいぶ安いですね。
 さて、上水道があれば、下水道も必要ですね。ところが、江戸はリサイクル社会ですから、ほとんどすべてのゴミは別に回収され、下水に流すことはありませんでした。お屋敷では米のとぎ汁も無駄にしなかったほどです。下水を流れる水は現代と違って綺麗なもので、雨水と余水くらいなものだったそうです。それだけでなく、お屋敷では下男が、町では鳶が、長屋では住人が溝(どぶ)浚いをまめにして、綺麗に保たれておりました。
 ただし、初めっから水道環境が充実していたわけではございません。整備が行われたのは、江戸時代が始まって五十年ほど経ってからです。それまでは、人々はゴミや遺体を川や堀に捨てるので、ヘドロが詰まって江戸中大変なことになったそうです。それらの失敗をひとつずつ克服していって、江戸後期に衛生的な大都市を完成させたというプロセスも、忘れてはいけませんね。

 

善養寺ススム


1965年生まれ。『江戸の用語辞典』(廣済堂出版)著者。イラストレーター、江戸研究家。江戸時代に育まれた「江戸の間(ま)思考」を研究。その他『江戸の町とくらし図鑑』『江戸の人物事典』『江戸の女子図鑑』『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』など

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