歴史資料

絵で見る江戸のくらし ⑤ 江戸の橋と橋のない川

文・絵=善養寺ススム

江戸の橋と橋のない川


『江戸の町とくらし図鑑』より「吾妻橋」

 右の絵は浅草の「吾妻橋(あづまばし)」でございます。手前が浅草で、向こう側が現在東京スカイツリーがある本所(ほんじょ)・向島(むこうじま)です。この上流には「千住大橋(せんじゅおおはし)」がありまして、家康の命によって江戸幕府が開かれる前の文禄三(1594)年に、江戸で最初に架けられた橋です。一方、吾妻橋はその百八十年後の安政三(1856)年に、大川(おおかわ)(隅田川(すみだがわ))では最後に架けられた橋です。
 吾妻橋は民間普請(みんかんぶしん)の橋です。民間の橋では「銭取(ぜにと)り橋」と呼ばれる、建設投資を通行料で回収する方法がよく用いられます。吾妻橋の通行料は庶民は三文(もん)で、武士は無料でございました。
 絵には橋の両側に「橋番所(はしばんしょ)」が置かれています。橋番は料金の徴収や管理をしておりました。夜中に飛び込み自殺する者もおりましたので、昼夜気の抜けない仕事でした。江戸時代には高いビルなんかはございませんから、飛び降りと言えば橋が定番だったのです。
 江戸時代の橋の逸話といえば、最後まで橋が架けられなかった川、「大井川(おおいがわ)」が有名ですね。東海道の難所と呼ばれ、増水で二十八日間も「川留(かわどめ)」になり、人々の通行が止められたこともありました。他にも橋のない川は沢山(たくさん)あるのですが、そういう川は渡し船を用いておりました。しかし、大井川は船も使わず、歩いて渡るだけに制限されていました。こうした渡り方を「徒渡(かちわた)り」と申します。実は珍しいものではなく、東海道でも安倍川(あべかわ)や酒匂川(さかわがわ)など、五カ所以上ありました。


『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』洋泉社刊 より「九日目・塩井川の徒渡り」

 左のイラストは『東海道中栗毛弥次馬(とうかいどうちゅうくりげやじうま)』の日坂宿と掛川宿の間にある「塩井川(しおいがわ)」でのシーンです。按摩をからかい、バレて酷い目にあいます。この川は幅が狭く浅いので、自分で歩いて渡りますが、大井川は自分で渡ることも禁じられており、必ず川越人足(にんそく)を雇いました(貧しいものに限っては、人足の案内で自分で渡ることが許されました)。
 値段は人足ひとりにつき「川札(かわふだ)」一枚で四十八〜九十四文(1200〜2350円)でした。値段は水の深さによって、その日に決められます。肩車(かたぐるま)ならひとりかふたり。「蓮台(れんだい)」という輿(こし)を使うと、人足の他に道具代も取られ六枚〜五十二枚になりました。その他に「酒手(さかて)」と呼ぶチップも必要でした。
 江戸時代は経済が重要になりますから、流通を円滑にするために川には橋を架けるのが普通でした。では、なぜ、大井川はどちらもしなかったのか? その理由として一般的に言われるのが「江戸防衛のために橋をかけなかった」というもの。しかし、それにしては東北最強の武将・伊達政宗(だてまさむね)がいる北側には千住大橋を架け、家康のいた幕府領・駿府(すんぷ)と、徳川御三家筆頭(ごさんけひっとう)の尾張藩(おわりはん)の間にある大井川に架けないのは辻褄(つじつま)があいません。
 『大井川に橋がなかった理由』(松村博著・創元社刊)という本では、徒渡りの川は水量の変化が激しく、川幅が広いために技術的に橋が架けられなかった、と結論づけています。なるほど、大井川は普段広い砂利の浜が広がるとても広い川です。長い橋を架けても流されてしまいそうです。
 そんな川に負けずに橋を架けた人々もいます。岩国の「錦帯橋(きんたいきょう)」です。明暦三(1657)年に普請がはじまり、幾度も流されながら、その度改良が加えられ「流されない橋」が完成したのは、十六年後の延宝元(1673)年でございました。


善養寺ススム


1965年生まれ。『江戸の用語辞典』(廣済堂出版)著者。イラストレーター、江戸研究家。江戸時代に育まれた「江戸の間(ま)思考」を研究。その他『江戸の町とくらし図鑑』『江戸の人物事典』『江戸の女子図鑑』『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』など

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