歴史資料 記事一覧

  • 絵で見る江戸のくらし 19.伝統建築と和釘

    絵で見る江戸のくらし 19.伝統建築と和釘

    文・絵=善養寺ススム

    「伝統建築は釘を一切使わない」と、よく言われますが、平成25年に行われた伊勢神宮の「式年遷宮」には、なんと七万本近い釘が使われています。 ...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 18.鋼と踏鞴製鉄

    絵で見る江戸のくらし 18.鋼と踏鞴製鉄

    文・絵=善養寺ススム

    前回は工具のお話でしたが、今回はその材料、鉄のお話でございます。来年は日本史好きの人には大事な年、幕末維新(大政奉還)一五〇周年です。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 17.百八十年前の大工道具

    絵で見る江戸のくらし 17.百八十年前の大工道具

    文・絵=善養寺ススム

    今回は大工道具のお話でございます。イラストは文政年間(1818年~30年)に描かれた画帖の模写です。作らせたのは長崎・オランダ商館の館長を務めたヤン・ブロンホフです。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 16.文化財の活かしかた

    絵で見る江戸のくらし 16.文化財の活かしかた

    文・絵=善養寺ススム

    私の住まいの近くに、江戸後期に建てられた名主屋敷の「長屋門」がございますが、いつの間にか「指定有形文化財」の看板が撤去されておりました。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 15.江戸時代の都市の堀端

    絵で見る江戸のくらし 15.江戸時代の都市の堀端

    文・絵=善養寺ススム

    江戸や大坂は、日本の近代都市の象徴のような街です。その特徴は街の隅々に伸びる堀割りにあります。堀割りが重要だった理由のひとつは舟のためです。日本は馬車や牛車などの陸運が発達しなかった国ですが、その代わりを担ったのが水運です。...続きを読む

  • 日本の高層ビルの歴史を探る

    日本の高層ビルの歴史を探る

    1888(明治21)年、大阪府西成郡今宮村(現在の西成区の北東部)に"ミナミの5階"と呼ばれた「眺望閣」が建設されました。高さ31mの頂上からは遠く淡路島まで見渡せたと伝えられ、...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 14.中級武士の屋敷

    絵で見る江戸のくらし 14.中級武士の屋敷

    文・絵=善養寺ススム

    今回のお話は、武家屋敷です。屋敷といっても身分によって規模は様々です。上は江戸の加賀藩邸の十万坪から、下は諸藩の下層武士の四十坪ほどまでと、だいぶ開きがございます。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 13.江戸時代の上下水道

    絵で見る江戸のくらし 13.江戸時代の上下水道

    文・絵=善養寺ススム

    江戸っ子の自慢話にも出るように、江戸市中は水道が通っていて、いつでも誰でも使えて枯れることがありませんでした。しかし、この時代、江戸だけに水道があったわけではございません。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 12.千住宿と医師たち

    絵で見る江戸のくらし 12.千住宿と医師たち

    文・絵=善養寺ススム

    今回は日光街道・奥州街道初の宿場《千住宿》のお話でございます。江戸っ子は《宿》を「じく」と発音しますので、これは「せんじじく」...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし 11.妖怪と建築土木の意外な繋がり

    絵で見る江戸のくらし 11.妖怪と建築土木の意外な繋がり

    文・絵=善養寺ススム

    皆さんは迷信を信じますか? というよりは、科学では説明できないものに敬意をはらいますか? 今回は妖怪のお話でございます。 妖怪と言えば、近頃は子供たちに大人気ですね。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ⑩膝栗毛に見る日本の家

    絵で見る江戸のくらし ⑩膝栗毛に見る日本の家

    文・絵=善養寺ススム

    今回の絵は、江戸時代のミリオンセラー『東海道中膝栗毛』でございます。 原作(十返舎一九・一八一四年)では、江戸で事件を起こした弥次さん喜多さんが伊勢参りの旅に出る話ですが、...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ⑨大名屋敷と表門

    絵で見る江戸のくらし ⑨大名屋敷と表門

    文・絵=善養寺ススム

    今回は江戸の大名屋敷のお話でございます。大名というのは一万石以上の領地を持つ武家を指します。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ⑧エコ都市・江戸ともったいないの秘密

    絵で見る江戸のくらし ⑧エコ都市・江戸ともったいないの秘密

    文・絵=善養寺ススム

    近年注目される「もったいない」の思想は、江戸時代に生きていました。江戸中期には人口が百万を超えたとされる江戸の町ですが、リサイクルが広く行われたため、環境へのダメージの少ない都市でした。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ⑦江戸城天守閣が象徴するもの

    絵で見る江戸のくらし ⑦江戸城天守閣が象徴するもの

    文・絵=善養寺ススム

    日本の城といえば、天高く聳える天守です。しかし、江戸時代のほとんど、江戸城には天守はなかったのです。江戸城と言えば、上のように立派な天守が描かれているのが普通ですが、これらは江戸前期の明暦三(一六五七)年以前の姿なのでございます。 ...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ⑥ 江戸時代に何故「ちょんまげ」が定着したのか?

    絵で見る江戸のくらし ⑥ 江戸時代に何故「ちょんまげ」が定着したのか?

    文・絵=善養寺ススム

    江戸時代の男性の髪型と言えば「ちょんまげ」でございますね。正確に申しますと「ちょんまげ」は小さな髷のことをさしますので、「月代に髷」です。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ⑤ 江戸の橋と橋のない川

    絵で見る江戸のくらし ⑤ 江戸の橋と橋のない川

    文・絵=善養寺ススム

    右の絵は浅草の「吾妻橋」でございます。手前が浅草で、向こう側が現在東京スカイツリーがある本所・向島です。この上流には「千住大橋」がありまして、家康の命によって江戸幕府が開かれる前の文禄三(1594)年に、江戸で最初に架けられた橋です。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ④ 大名行列と街道

    絵で見る江戸のくらし ④ 大名行列と街道

    文・絵=善養寺ススム

    今回のイラストは、信濃国高遠藩・内藤家の大名行列で、二代藩主・頼卿が、初めて自分の領国へ入る時の行列を絵にしたものでございます。人数は三百六十五人。内藤家は現在の新宿御苑に二十万坪の下屋敷を持ちます。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ③ 鳶の仕事と町火消

    絵で見る江戸のくらし ③ 鳶の仕事と町火消

    文・絵=善養寺ススム

     鳶(とび)の仕事はスカイツリーの天辺(てっぺん)から、足場の設置、基礎工事まで様々でございますね。どんな仕事を専門にする人なのか、建築に関わらない人にとっては、なかなか理解の難しい職です。...続きを読む

  • 夢の超特急をつくれ 東海道新幹線

    夢の超特急をつくれ 東海道新幹線

    東海道新幹線は東京オリンピックの開催を九日後に控えた昭和三十九(一九六四)年十月一日開業。昨年開業五十周年を迎えた。三十九(一九六四)年十月一日開業。昨年開業五十周年を迎えた。「夢の超特急」と呼ばれた世界初の高速鉄道は、開業当時、東京―新大阪間を最高時速二 一 〇キロメートルで走行し、鉄道輸送に革命を起こしたのだった。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ② 熈代勝覧に見る江戸の町と普請

    絵で見る江戸のくらし ② 熈代勝覧に見る江戸の町と普請

    文・絵=善養寺ススム

    今回のイラストは、江戸後期の文化二(一八〇五)年に描かれました『熈代勝覧』という絵巻の一部をリメイクしたものでございます。日本橋から神田まで(現・中央通り)を描いたもので、長さは十二・三mもあります。...続きを読む

  • 自衛隊と肩を並べた雪像造り さっぽろ雪まつり

    自衛隊と肩を並べた雪像造り さっぽろ雪まつり

    「さっぽろ雪まつり」は、昭和二十五(一九五〇)年、札幌市内の中高生が六基の雪像を造ったことが始まりとされている。戦後の高度経済成長に支えられ、その規模は年々拡大し、今では札幌の冬を彩る最大級の祭典となった。...続きを読む

  • 絵で見る江戸のくらし ① 江戸の象徴「長屋」の成り立ち

    絵で見る江戸のくらし ① 江戸の象徴「長屋」の成り立ち

    文・絵=善養寺ススム

    このイラストは、今年一月に出版いたしました『江戸の女子図鑑』に描いたもので、当時のワンルーム・アパートである長屋でございます。江戸の町の象徴でもある長屋ですが、実はこれ、江戸初期にはございませんでした。...続きを読む

  • 琉球の思いを掲げて 守礼門

    琉球の思いを掲げて 守礼門

    琉球王国尚清王在位中十六世紀半ば頃に創建された「守礼門」。首里城の玄関口に当たる建造物であり、二千円紙幣の図柄としても有名である。...続きを読む

  • 次の百年をめざして 旧余部鉄橋

    次の百年をめざして 旧余部鉄橋

    かつてJR山陰本線の鎧駅~餘部(あまるべ)駅間にかかっていた旧余部鉄橋は、明治四十五(一九一二)年に二年半の歳月と二十五万人の人員をかけて完成した。...続きを読む

  • 震災の教訓を今に伝える神戸港震災メモリアルパーク

    震災の教訓を今に伝える神戸港震災メモリアルパーク

     阪神・淡路大震災から来年で二〇年の節目を迎える。平成七(一九九五)年一月一七日、震度七の激震が兵庫県の南部地域を襲い、死者六'四〇〇人を超え、負傷者は四万人にも及ぶ壊滅的な被害をもたらした。...続きを読む

  • 安全への架け橋 西枇杷島町横断歩道橋

    安全への架け橋 西枇杷島町横断歩道橋

     昭和三十四(一九五九)年、日本最古の歩道橋「西枇杷島町横断歩道橋」が誕生した。愛知県清須市を走る県道六十七号は交通量が非常に多く、小学校の通学路になっていた二見交差点では横断の際に事故が頻繁に発生していた。...続きを読む

  • 苦難を乗り越えた再開発事業 横浜みなとみらい21

    苦難を乗り越えた再開発事業 横浜みなとみらい21

    現在の「横浜みなとみらい21」の大半が、明治初頭には海だった。当時、造船所や鉄工所、石油工場など造船関係の施設が多く操業し、港の拡大に伴う建設工事が積極的に進められていた。 大正十二(一九二三)年に発生した関東大震災により、荒野と化した横浜一体であったが、大規模な区画整理やインフラ整備が急速に進められ、震災後わずか六年で復興を果たす。人材と資材の海上輸送を可能にした横浜港ならではの復興であった。...続きを読む

  • 人が住み、人が集うまち|高松丸亀町商店街

    人が住み、人が集うまち|高松丸亀町商店街

     四国を代表する商業集積地である香川県高松市。「丸亀町商店街」は瀬戸内海に開かれた四国の玄関口として、四○○年以上の歴史を持つ。それまで国鉄の宇高連絡船が流通の中心を担ってきたが、昭和六十三(一九八八)年に瀬戸大橋が開通すると、交通インフラの整備により、市内には大型量販店が次々と進出。...続きを読む

  • 六十八年の時を経て|新虎通り

    六十八年の時を経て|新虎通り

     今年三月、東京の都心部を走る環状二号線の「新橋 ― 虎ノ門間」およそ一・四キロの「新虎通り」が開通した。 ...続きを読む

  • 若い力で活性化を|神田学生街

    若い力で活性化を|神田学生街

    全国有数の学生街として知られている神田界隈。多くの大学や専門学校、予備校などが立ち並ぶ一方で、下町の風情も色濃く残っている。江戸時代に武家屋敷であった一帯は、幕府崩壊後、空家となった敷地を利用して多くの学校が建てられた。必然的に書店の需要が増え、戦後にはスポーツ用品店や楽器店が軒を並べ、教育・文化の中心地となった。...続きを読む

  • 建造物を後世に渡す|渡月橋

    建造物を後世に渡す|渡月橋

    京都嵐山を代表する渡月橋。その歴史は古く、奈良・平安時代からあるとされており、鎌倉時代に亀山天皇が、橋の上を月が渡っているさまを詠ったことがその名の由来とされる。 ...続きを読む

  • Episode8 〜コンクリートの有無による世界の歴史の変化〜

    Episode8 〜コンクリートの有無による世界の歴史の変化〜

    SPQR技術士事務所 中川 良隆

    前回は多民族と単一民族の国家を統治するための施設を説明した。今回は外敵侵入を考えたライフラインの紹介、木の国・石の国のまとめ、コンクリートの有無による世界史の変化を推測した。...続きを読む

  • 人々の生活を守り続けた|石淵ダム

    人々の生活を守り続けた|石淵ダム

     東北地方最大の河川である北上川の流域では、古くから洪水と渇水の被害に悩まされてきた。内務省では「北上川上流改修計画」を策定。この状況を改善すべく「北上川五大ダム計画」がまとめられた。昭和十三年(一九三八年)のことである。 ...続きを読む

  • 建設産業の礎|富士教育訓練センター

    建設産業の礎|富士教育訓練センター

    職業訓練法人 全国建設産業教育訓練協会
    建設産業共同教育訓練協議会

    平成二十五年度で開校十七年目を迎え、「いつでも帰ってきなさい」と送り出した生徒の数は十二万人を超える。富士教育訓練センターは、いま建設産業の新たな礎として生まれ変わろうとしている。...続きを読む

  • Episode7 〜多民族国家と単一民族国家のインフラの考え方の話〜

    Episode7 〜多民族国家と単一民族国家のインフラの考え方の話〜

    SPQR技術士事務所 中川 良隆

    前回までに、火事が頻発した江戸を不燃化できなかったのは、幕閣の能力の問題、とのことを明らかにした。今回は多民族国家と単一民族国家のインフラの考え方について紹介する。 ...続きを読む

  • 日越友好の架け橋|ベトナム 来遠橋

    日越友好の架け橋|ベトナム 来遠橋

    ベトナム中部クアンナム省に位置するホイアンは、トゥボン川河口の港町である。中国人街を中心に古い建築が数多く残っており、一九九九年(平成十一年)には「ホイアンの古い町並み」としてユネスコの世界遺産に登録されている。...続きを読む

  • オリンピックに希望を新国立競技場

    オリンピックに希望を新国立競技場

    一九六四年(昭和三十九年)、第十八回夏季オリンピックが東京で開催された。一九四〇年大会を戦争のため返上していた日本にとって、アジア地域で初めて開催されたこのオリンピックは、再び日本が国際社会の中心に復帰する象徴でもあった。オリンピックを控えた東京では、都市美観工事を始め、ホテルや競技場の建築が進められた。また、東京タワー、新幹線など大幅なインフラ整備も進み、まさに土木・建築業界が超花形といわれた高度経済成長期であった。そして、その時代背景の中で、日本は国際化、経済大国化を着々と推進する。日本国民にとっての希望に満ちた時代だった。...続きを読む

  • Episode6 〜江戸時代の為政者の能力(鎖国と参勤交代からの視点)の話〜

    Episode6 〜江戸時代の為政者の能力(鎖国と参勤交代からの視点)の話〜

    SPQR技術士事務所 中川 良隆

    前回は火災多発都市江戸を改造できなかったのは、日本人の技術の未熟が原因でないことを説明した。今回はその理由が、為政者の能力かどうかについて検討した。...続きを読む

  • 温故知新 見直される木造校舎|旧開智学校

    温故知新 見直される木造校舎|旧開智学校

    明治九年(一八七六年)、教育熱心な土地柄としても知られる長野県松本市に「旧開智学校」は建設された。約九十年に渡り校舎として使用された日本でも有数の古い小学校のひとつであり、工事費は一万一千余円、小学校の教員の給与が五円程である当時のお金でいうと巨額であった。...続きを読む

  • Episode5 〜 日本(戦国・江戸時代)人の能力と置かれた環境の話 〜

    Episode5 〜 日本(戦国・江戸時代)人の能力と置かれた環境の話 〜

    SPQR技術士事務所 中川 良隆

    防火建築の推進も進まず、大火を繰り返した江戸。同じ過ちが、関東大震災における東京や、太平洋戦争の焼夷弾による各都市の大火災につながった。「火事と喧嘩は江戸の華」と開き直った江戸の人々や戦国時代の人々の技術力。そして日本人の置かれた環境を紹介する。...続きを読む

  • 温故知新 職人が繋ぐ伝統建築|出雲大社

    温故知新 職人が繋ぐ伝統建築|出雲大社

    現在の出雲大社本殿は、延享元年(一七四四)に御遷宮御造営され、創建から二十五回の造替があったと記録されている。以降、三度に渡る遷宮が行われ、「平成の大遷宮」は二十九回の遷宮と位置づけ、神社建築の様式を今に伝えている。 ...続きを読む

  • Episode4 〜 大都市の火災と防火対策の話(ローマ・パリ・ロンドン等)〜

    Episode4 〜 大都市の火災と防火対策の話(ローマ・パリ・ロンドン等)〜

    SPQR技術士事務所 中川 良隆

    『ローマ皇帝伝』に初代皇帝アウグストウス(在位:紀元前27年-14年)は、「煉瓦の市街であった首都ローマを受けついで、大理石の市街を残した」と記している。そして彼は7つの大隊で、合計4,900人の消防隊を設けた。...続きを読む

  • 入札契約制度の変遷

    入札契約制度の変遷

    国土交通省  日原 洋文 前 建設流通政策審議官
    (一財)建設経済研究所 客員研究員  六波羅 昭
    愛媛大学防災情報研究センター  教授 木下 誠也
    (一社)長野県建設業協会  会長 藏谷 伸一
    (社)宮崎県建設業協会  会長 永野 征四郎

    入札契約制度を通じてあるべき建設業の姿を示す―国土交通省内幹部による「地域の建設産業および入札契約制度のあり方検討会議」を設置した背景や、検討に際してのたたき台などについての考え方を、前国土交通省建設流通政策審議官の日原洋文氏にお聞きしました。...続きを読む

  • 温故知新 ダイナミックな曲線美|江戸橋JCT

    温故知新 ダイナミックな曲線美|江戸橋JCT

    昭和三十八年(一九六三年)、日本の国道の起点である東京・日本橋に、首都高速道路江戸橋JCTが開通した。東京オリンピック開催までの限られた時間の中、河川や道路上の高架を利用して建設されたことにより、翌年には都心から羽田空港までの時間短縮を実現した。...続きを読む

  • Episode3 〜 大都市の火災と防火対策の話(江戸の街)〜

    Episode3 〜 大都市の火災と防火対策の話(江戸の街)〜

    SPQR技術士事務所 中川 良隆

    火事が多いので江戸っ子は「火事と喧嘩は江戸の華」、「宵越しの金をもたない」と粋がっていた。その江戸の火事と防火対策は、どのようであったのだろうか。...続きを読む

  • Episode2 〜 揚重機(クレーン等)と都市や国の防衛の話 〜

    Episode2 〜 揚重機(クレーン等)と都市や国の防衛の話 〜

    SPQR技術士事務所 中川 良隆

    ローマ水道橋として有名なポン・デュ・ガールは、1世紀頃造られた、高さは約50m・延長500mの橋。最大6トン、2万個の石を積み上げている。石造構造物で大石を荷揚するには、クレーンが不可欠である。古代ローマや江戸でクレーンの使用状況は、どの様であったのだろうか。...続きを読む

  • 温故知新 新しい時代の建築へ|東京中央郵便局

    温故知新 新しい時代の建築へ|東京中央郵便局

    昭和六年(一九三一年)、東京駅赤レンガ駅舎真正面に東京中央郵便局が竣工した。白いタイル張りのシンプルな外観と、充実した設備と規模を誇る大郵便局は、モダニズム建築の傑作と讃えられ、関東大震災後の復興建築のシンボルでもあった。...続きを読む

  • Episode1 〜 古代ローマと日本の建設材料の話 〜

    Episode1 〜 古代ローマと日本の建設材料の話 〜

    中川 良隆
    1969年慶應義塾大学工学部機械工学科卒業。1971年大成建設に入社。
    明石海峡大橋他数多くの工事に参画。
    2003年東洋大学工学部環境建設学科教授。2012年SPQR技術士事務所。

     寺社仏閣そして神殿は、荘厳で恒久的でなければならない。地震で崩れたり火事で燃えたりしたら、人びとは、神様・仏様の祟りがあると思ってしまう。木の国、日本の代表的寺院建築は東大寺金堂。石の国、古代ローマの代表的神殿建築はパンテオンであろう。...続きを読む

  • 温故知新 伝統と最先端の融合|歌舞伎座

    温故知新 伝統と最先端の融合|歌舞伎座

    明治四十四年(一九一一年)、初代(第一期)歌舞伎座は施設の老朽化と帝国劇場の開設を機に、改築工事が行われた。この頃、ヨーロッパの近代的な演劇を確立しようとする運動が起こるなど、旧派(歌舞伎)に対する新派が人気を博していたことも影響し、外観が純洋風の帝国劇場に対抗して初代の土台や骨組みを残した純和風の宮殿造りになったようだ。...続きを読む

  • 温故知新 愛され続けた復興建築|九段下ビル

    温故知新 愛され続けた復興建築|九段下ビル

    昭和二年(一九二七年)、関東大震災における復興事業の一環として東京・神田神保町に九段下ビル(旧称 今川小路共同建築)が建設された。被災した近隣の商家が集まり、復興助成会社による低利融資を受けた商業施設兼用の共同住宅である。...続きを読む

  • 工種別技術史〜鉄筋コンクリート編

    工種別技術史〜鉄筋コンクリート編

    鉄筋コンクリート造りの技術は、嘉永3年(1850)にフランス人のジョゼフ・モニエによって発明された。安政4年(1857)には特許を...続きを読む

  • 建設産業の歴史と文化〜コンクリート編

    建設産業の歴史と文化〜コンクリート編

    東京大学大学院工学系研究科 石田哲也准教授

    国が発展する時、社会基盤やインフラが必要になります。まさに建設産業は、昭和の高度経済成長期において飛躍的な発展を遂げ、建設材料についても、さまざまな面で進化してきました。その代表的存在といえるのが、コンクリートです。いろいろな用途や機能に応えるため、また丈夫で長持ちするコンクリートをつくるために、材料、設計、施工、維持管理などに関する研究が日々続けられてきました。...続きを読む

  • 温故知新 幻の美術館|共楽美術館

    温故知新 幻の美術館|共楽美術館

    フランク・ブラングィン/《背後に別館を配した美術館の俯瞰図》/
    1918-20年/素描に基づく写真/
    ミッチェル・ウルフソン・ジュニア、マイアミ、フロリダ/
    Photo: The Mitchell Wolfson, Jr. Study Centre, Miami, Florida/
    ©David Brangwyn

    大正五年(一九一六年)から昭和初期にかけて、川崎造船所の初代社長、松方幸次郎がヨーロッパ各地で収集した数々の美術品は「松方コレクション」の名で知られ、現在では一部が国立西洋美術...続きを読む

  • 温故知新 建築が生んだ美しい夜景|新宿三井ビルディング

    温故知新 建築が生んだ美しい夜景|新宿三井ビルディング

    昭和四十九年(一九七四年)、新宿副都心を代表する超高層ビルの一つである新宿三井ビルディングが建設された。新宿西口に位置するこのエリアは、再開発を目的に淀橋浄水場の跡地に計画され、昭和四十六年の京王プラザホテルの竣工を皮切りに次々と超高層ビルの建設が始まり、新宿の華やかなオフィス街と、美しい夜景が形成されていった。...続きを読む

  • 温故知新 一世紀を超えるインフラ|布引五本松ダム

    温故知新 一世紀を超えるインフラ|布引五本松ダム

    写真提供:公益社団法人土木学会附属土木図書館

    明治三十三(一九〇〇年)年、神戸市の近代的水道施設として布引五本松ダムが建設された。堤体の重さで水圧を支える重力式コンクリートダムとしては日本最古のダムであり、周辺の水道施設と共に国の重要文化財に指定されている。ダムの水は外国船舶にも供給され、赤道を越えても腐らない『神戸ウォーター』として重宝された。...続きを読む

  • 温故知新 世代を越えて|東京駅

    温故知新 世代を越えて|東京駅

    大正三年(一九一四年)十二月、今からおよそ一〇〇年前、新橋駅と上野駅を結ぶ日本を代表するターミナル駅が完成した。当初は予算も少なく、戦争により幾度も計画が中断したが、日露戦争での勝利を機に、国威を象徴するものとして全長三三五メートルもの大駅舎となった。...続きを読む

  • 温故知新 人々の歴史を渡す|清洲橋

    温故知新 人々の歴史を渡す|清洲橋

    昭和三年(一九二八年)三月、隅田川橋梁群のひとつである清洲橋が完成した。深川の清澄町と日本橋中洲町の間に架けられたことから清洲の名が付けられ、関東大震災の帝都復興事業として計画された。ドイツのケルン大吊橋をモデルとする、「震災復興の華」とも呼ばれた優美な橋である。基礎工事には耐震性を強化するためニューマチックケーソン工法が採用され、吊鎖にはデュコール鋼を用いるなど、海外からの技術を取り入れたことにより美しい構造とデザインを可能...続きを読む

  • 温故知新 人の心に芸術を|大原美術館

    温故知新 人の心に芸術を|大原美術館

    写真提供:大原美術館

    昭和五年(一九三〇年)、昭和恐慌の真っ只中に、日本で最初の西洋近代美術館である「大原美術館」は誕生した。  美術館の開館は、倉敷を拠点に活躍する事業家・大原孫三郎が、志を共にした画家・児島虎次郎の死を悼み、故人の作品と生前に収集したエル・グレコの「受胎告知」やモネ、ゴーギャンなどの作品を公開したいという友情を記念するものであり、また「広く社会に意義あること」を願ったもの...続きを読む

  • 温故知新 オリンピックを日本へ|国立競技場

    温故知新 オリンピックを日本へ|国立競技場

    写真提供:国立競技場

    昭和三十三年(一九五八年)三月、現在ではスポーツの聖地として名高い国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。東京オリンピックの開会式会場でもあったこの「国立競技場」は、同年に行われた第三回アジア競技大会開催のため、明治神宮外苑競技場を取り壊し建設された施設でもあった。当時、アジア競技大会まで時間が限られていたこともあり、明治神宮外苑競技場は爆薬により解体された。同時進行で基...続きを読む

  • 温故知新 技術者が結んだ希望の道|東名高速道路

    温故知新 技術者が結んだ希望の道|東名高速道路

    写真提供:読売新聞社

    昭和四十四年(一九六九年)五月二十六日、東京ICから小牧ICまでの三四六・八キロを結ぶ東名高速道路が全面開通した。これにより東京~西宮間の五三六キロを結ぶ大動脈が完成。日本はハイウェイ時代に突入した。 東名高速道路建設に関わった作業員は延べ二一七〇万人。工事にはおよそ四年を要し、総工費は三四二五億円とも言われる。施工方法も人力や小規模機械によるものから、大型機械を導入した...続きを読む

  • 温故知新 鉄道から百貨店事業へ|阪急百貨店

    温故知新 鉄道から百貨店事業へ|阪急百貨店

    写真提供:読売新聞社

    昭和4年(1929年)、鉄道会社直営のターミナルデパートとして阪急百貨店(うめだ本店)が創業した。大都市圏の私鉄は、ターミナル駅に百貨店を併設し、郊外の沿線住民に鉄道利用で買い物をしてもらう相乗効果を狙ったのだ。鉄道会社が百貨店経営をするという経営の多角化が、日本の駅ビル事業の原型となった。...続きを読む

  • 温故知新 人々の心に力を|東京タワー

    温故知新 人々の心に力を|東京タワー

    写真提供:アフロ

    昭和33年(1958年)、東京タワーは開業し、半世紀以上にわたり関東一円に放送電波を送り続けてきた。来塔者は延べ1億6000万人以上にも及び、戦後経済が復興に向かい、急速に成長する日本の発展を象徴するシンボルでもあった。 建設に使用された鋼材の総量は4000トン。エッフェル塔の約半分程度の量だが、建設技術の進歩により強度に優れたタワーの建設が可能なっていた。建設中いくつもの新しい技術が開発され、東京タワー完成は建設技術・経済を躍進するため...続きを読む

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建設業の経理 No.63 2013特別号

建設業の経理
No.64
2013秋号

新連載「建設業経理士検定試験の過去問演習講義」「人を大切にする建設業 人事・労務管理の実践」「全社で学ぼう!知っておきたい法律知識」